クイーン・オブ・ウエスタン・スイング - キャロリン・マーティン

 




この話のそもそものはじまりは、1930年ころで、まあ、始まり、って言っても途中だ、みたいな。

もちろん、さらに大元もあれば、次もある。


まずは、こちらから。

Milton Brown & His Musical Brownies - Brownie's Stomp



ミルトン・ブラウンは、世界最初の「ウエスタン・スイング・バンド」のリーダーで、結成人。


30年にはたばこのセールスマンをしていたのですが、世界恐慌の影響で不景気のどん底のなか、失業してしまいます。

で、失意のなかばったり出会った男が、ボブ・ウイルス。コロナウイルスじゃなくてよかったよね!じゃねーよ。

まあ、この、いっつも「あーっはぁー」とかニコニコ顔の掛け声してるフィドルのボブ・ウイルス、「実はのちの「ウエスタン・スイングの王様」。

で、ギターのハーマン・アンスパイパーと3人でトリオのバンドを組んでメディスンショウ(薬売りのドサまわり)なんかしていたのですが、ラジオショーを持つまでになるのです。ライト・クラスト・ドウボーイズというこのバンド、けっこうもうかったようですが、ブラウンは辞めて、自分のバンド、ミュージカル・ブラウニーズを結成。

カウボーイソングの古典をジャズ化するという暴挙に出ます。これが見事に大当たり。先進的なことをするといいことがある。これが世界最初の「ウエスタン・スイング・バンド」となります。

しかしながら、不幸なことにブラウンは、36年に自動車事故にあい、わずか32歳で死没。


一方、相棒だったボブ・ウイルスは、フォートワースで、1920年代のミンストレル芸人、エメット・ミラーの影響で、ミラーみたいな音楽をやっていた。後にウイルスがウエスタンスイングとして有名にした「ライト・オア・ロング」や「エイント・ガット・ノーバディ」はミラーの曲です。

そして、34年にバンドをテキサス・プレイボーイズと改名、ホーンセクションも加えた大所帯の本格的なスイングサウンドでもって、ラジオで一躍有名に。35年からはヴォカリオンからたてつづけにヒットレコードを連発。36年のスティール・ギター・ラグ、39年のサン・アントニオ・ローズのほか、今ではすっかり伝説になっているアイダ・レッド(39年。チャック・ベリーのメイベリーンは、これの改作。)などが出ています。


Bob Wills and His Texas Playboys, 1951



40年代のスイング黄金期(ベニーグッドマンの時代)に入ると、ウエスタンスイングのほうも隆盛を極めます。ウイルスのテキサス・プレイボーイズが、46年に出したローリー・ポーリー、そして50年に出たフェイデッド・ラブが極めつけでしょう。


しかしながら、50年代に入ると、北部の小さなウエスタンスイングバンド、サドルメンがコメッツとなり、ロックンロール時代の幕を開けたことで、ウエスタンスイングの人気は吸収合併されるように、みるみるすたれていきました。


今では、歴史上の重要なひとつの音楽スタイルとして、脈々と根っこのように生きてはいますが、実態はテキサス北部を中心としたローカルな音楽としてひっそり存在する、という感じになっています。


さてさて、そんな21世紀、地方限定生産みたいな音楽シーンとはいえ、今でも多くの人々に親しまれているウエスタン・スイングを代表するカントリーシンガーが、キャロリン・マーティンです。


Carolyn Martin: "Swing On" 



キャロリンは、テキサス生まれで、現在はナッシュビルを拠点としていますが、テキサスウエスタンスイングホールオブフェイムのメンバー。

また、2008年、2010年、2014年にウエスタンアートアカデミーのウィルロジャース賞を受賞しています。

彼女がかつて在籍していたライダーズ・イン・ザ・スカイのレンジャー・ダグは、「素晴らしいスイング歌手」と絶賛。

キャロリン・マーティンは、「歌手の先祖返り」とも言われています。それは、とてもエレガントで微妙な声のコントロールの熟練芸を駆使して、唄の機微の隅々まで配慮した歌い方をするからです。

文字通り、現在のウエスタンスイングの女王です。


キャロリンは牧場育ち。 

「私が馬を飼っていた馬小屋には、地元のカントリーミュージックステーションに合わせたラジオがあったわ。今では伝統的なカントリーと呼ばれるものに加えて、ボブ・ウィルズや、スイングまたはスイングの影響を受け音楽をよく聴いていた。両親はフランク・シナトラやローズマリー・クルーニーなどのビッグバンドのスイングやポップシンガーを聴いたわね。」


キャロリンは10代でギターと歌を始め、やがて公の場で演奏を始めました。

 「私の最初の仕事は、州間高速道路のそばにある観光名所である「オールド・アビリーン・タウン」で働き始めたとき。レストランでサイレント映画を上映していて、私は映画の間の休憩時間に演奏したのよ。」

キャロリンはすぐに地域のバンドと働き始め、数年後、彼女自身のバンドを道路に連れて行き、ナイトクラブ、ダンスホール、ホテルのラウンジで演奏。 

「各場所で2〜3週間プレイして、町と人々を知り、2〜3週間で次の町に移動するような生活ね。」


ナッシュビルに移った後、キャロリンはフリーランスの歌手およびギタリストとして働き、徐々にバーでの演奏からプライベートパーティーや企業イベントでの演奏に移行します。

その後、1999年のある月曜日の夜、キャロリンはレンジャー・ダグの主催するウエスタン・スイング・バンド、タイムジャンパーズに加入。11年後、キャロリンは3枚のCD、何百もの公共テレビ局で放送され、2つのグラミー賞ノミネートDVDに参加した後、タイムジャンパーズを抜けて自分のバンドを作り現在進行形で大活躍中です。

CDはオールドカントリー、シンギングカウボーイ、そしてウエスタンスイングの古典から楽曲をもってきており、オリジナル曲の秀逸さも相まって素晴らしい出来のものばかり。最初のアルバム、Platter Of Brownies: The Music Of Milton Brownは、最初にご紹介した、忘れられたオリジネーター、ミルトン・ブラウンに捧げるものとなっており、こういう音楽に対するホンモノの愛情がわかるアルバムとなっています。必聴ですよ。

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