ハイ・ヌーン ー テックス・リッターのラウンドアップ





1952年に作られたフレッド・ジンネマンが撮った名作西部劇「(*・ω・)/ハーイ 何だこりゃ?あ、変換ミスか。

「ハイ・ヌーン」を知ってますよね。「真昼の決闘」です。こら、そこのおやじ!なに笑ってんだ!アヒルの決闘なんて言ってねえぞ!ディズニーランドじゃねえんだから。

これは、西部劇の定石を崩した作品として知られてまして、保安官が自分1人で殺し屋4人と立ち向かわざるを得ないという内容で、ジョン・W・カニンガムの小説『ブリキの星』に基づくお話。

主人公の保安官を演じるのはゲーリー・クーパー。それまでの西部劇では主人公は正義の味方で、強くて、バッタバタと敵を倒す、周りの人々もみないい人で勇気があって、保安官に協力する、ってのがパターン。明るく勇ましいけどえらくバカバカしい話ばかりだったのです。それをこの映画が覆した。フツーのおっさんが保安官で殺されてしまうとおびえて、助けてくれと街の人々に頼むがみな無視を決め込む、という。かなりリアルだよねえ。会社に置き換えてみるとすぐにわかります。

めちゃめちゃ怖いいじわるな内部監査が入って、自分は悪くないのに標的にされてクビにされるかもしれない。課長や部長に頼んでも、体よく知らん顔をされて、ひとりで火の粉をかぶんなきゃならない。かみさんには愛想をつかされそう、というわけ。怖いでしょう?こういう話を西部劇の形ではじめてやったのがこれ。封切り当時のアメリカでは酷評されたそうですが、ま、そうだなろうな、と思う。マッチョで単純な話が今でもアメリカ人は大好き。アヴェンジャーズみたいなヒット映画みてると先祖返りしてるなあ、と思いますもん。




さて、かなり長い前置きになってしまいました。

この真昼の決闘で主題歌(同タイトルのハイ・ヌーン)を歌っていたことで日本でも古くから知られているカントリー歌手がテックス・リッターという人。

もう52年にはおっさんだったし、日本ではそれより古い時代の活躍が知られていなかったので、リッター=ハイ・ヌーンの低音オヤジという認識しかありません。しかもそれもわたしより上の世代。それより下は知りもしないんじゃないか。でもこのおっさん、大変な大物、人気者なんですよね。


high noon



You tubeでたくさん見ることができる昔のカントリー音楽番組、「タウンホール・パーティ」や「テックス・リッターズ・ランチパーディ」でもおなじみですが、50年代にはすでに大物。というのも活躍したのはとても古く、1928年にはテキサス州ヒューストンですでに自分のラジオ番組をもっていて、カウボーイソングを歌っていた。1905年の生まれですから、1897年生まれのカントリー音楽の父、ジミー・ロジャースより8歳下なだけ。ほぼ同世代なんですよね。ロジャースは結核で若死したので、伝説になってしまいましたが、リッターはテレビ番組の司会者となってかなり長期間大活躍しましたから、本国ではたいへんな有名人。日本では放送されなかったので、あまりなじみがないですが、真昼の決闘以外にも例えば、テレビ西部劇で日本でもたいへんな人気があった「ガンスモーク」の主題歌もこの人です。


もともとはこの人もテキサス人。カントリーの有名人はテキサス人がほんとに多くて、アメリカ=テキサス、という感じ。

農場のカウボーイだったわけではなくて、実はこの人かなりのインテリ。テキサス大学で法学、経済学、政治学を学んでいます。テキサスでラジオショーを持った後は、ブロードウエイに乗り込み、たくさんのミュージカルに出演。

1933年には、ラジオで子供向けの番組「カウボーイトムのラウンドアップ」を書いて、出演もします。わかりますか?

ディズニー映画で大ヒットになった「トイ・ストーリー」の主人公ウッディのお話の元ネタっぽいですよね。


1936年、ハリウッド入りしたリッターは、36年の「リオグランデ」をはじめ、グランドナショナルピクチャーズの12本のB級西部劇に主演。「トラブル・イン・テキサス」ではリタ・ヘイワースとも共演しています。

40年代になると、もうでずっぱりといっていいくらいでまくってます。その間、レコーディングスターとしても活躍。

まさに「歌うカウボーイ」の代表格のひとりとなりました。

45年には「ゼアズ・ア・ニュームーン・オーヴァー・マイ・ショルダー」がカントリーチャート2位に。これはロック時代にはいってからもカヴァーされ続け、カントリーの古典のひとつになっています。そして、1953年にとうとう、ハイヌーンが出て、これはアカデミー賞を受賞。

その後、60年代もリッターは息の長い活躍を続けますが、74年に死去。(69歳)。


there'a new moon over my shoulder 



特徴的なのは、この人に限らず、当時のシンギングカウボーイ系のカントリースターは、フォーキーなアプローチをしなかったことです。そのあたりは、ジミー・ロジャース~ハンク・ウイリアムスといった系列とは異なるのではないかと思います。彼らは結構いい大学を出たり、ブロードウエイで本格的なボーカルレッスンを受けたりしていて、ブルースマンからギターを教わった云々、といった後世のカントリーアーティストとは趣が異なります。

だから、あまり今では受けないのかもしれませんし、案外これまで、あまりにメジャーなためにかえって無視されてきたような感じがします。しかし、本物のカウボーイじゃないから、南部の農家の出じゃないからホンモノじゃないってのもヘンな話。子供のころに大好きだった、西部劇やテレビの主題歌のおじさん、っていうだけでわたしなんかはぐっとくるのですが、いかがでしょうか。




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