サーファー・ガール ー ビーチ・ボーイズ
渚のバルコニーでまっこり!、渚の新堂さん!ビーチ坊主!それじゃ海辺の禿げ頭じゃねえか!
もう真夏、今回は「海辺の若者ハイカラ文化」元祖みたいな、ザ・ビーチ・ボーイズ。
が、しかし、最初にお断りしときますと、わたくしビーチボーイズをちゃんと聴いたことがありません。
ちゃんともちゃんこもちゃんちゃんこもないわ、ほとんど聴いたことがない。
なんでだろう、なんでだろー、なんでなんでだろー、地下鉄はどっから入れんだろうね、と考えてみても何も考えが浮かばない。まあ、そりゃそうだ、音楽なんて、ちゃんと聴いたりするほうが変だもんねー、なんとなく流れてるようなもんです。
山下達郎、サザンオールスターズ、大瀧詠一、など、ちょい上とか同年代の有名人がこぞって絶賛、神扱いするもんだから、なんとなくへそ曲がり署デカ長のわたくし、敬遠した、かもしれません。もしくは、海辺のナンパ野郎なんて嫌いだ!
ビキニの女の子とちゃらちゃらしやがって!えーん、うらやましいよおおお、おかあちゃーん、じゃねえよ!
そんな感じだったのかも。しかし、そんなバカなことをやめて久しいジジイになると、余計な解釈はなしで、素直に楽しめるんじゃないか?ってもんや三度笠、最近、妙に気になりだして、はじめて買いましたよエルピーレコード!なんでLP?
なんとなく、そういう雰囲気で聴きたいもんだよね、60年代は。60年代、自分が子供のころは、真空管ラジオとポータブルのレコードプレーヤーだったもんねえ。クロスレー(イギリス)の60年代復刻レコードプレーヤーを大枚はたいて買ったりして、ただの置物になってるのももったいない、ってんで、この手はレコード買うことにしてんですけどね。
で、聴いてみて、「なんだ、こんなに素晴らしいのを見過ごしていたんだな。」と、還暦になって思った次第。買ったのは、高く評価される(でも売れなかった)ペットサウンズといわれたビートルズのサージェントペパーの対抗として作られたものではなくて、初期の「サーファーガール」。
ちょっと、思っていたよりもペナペナなサウンド。綺麗なコーラス、キャッチーなメロディ、嫌いじゃないです。ただ、50年代の朴訥としてるけど、圧倒的にヘヴィーな黒人ドゥーワップ音楽と比べると、ペナペナだなあ、とどうしても思ってしまいます。でもそこが、西海岸の白人ティーンっぽい、アイドルっぽいところであって、それはそれでなんとも懐かしいようなバカバカしいようなそんな気分にさせてくれます。これって、結構大事。あまり気張ってるとか真面目なのより、昔の音楽は、どっかおバカさんなのが素敵なんだよなあ、と思うし。
ビーチボーイズがスタートしたのは1961年。わたくし0歳でございますね、ハイ。山下達郎のラジオサンデーモーニングを聴いていると、いっつも「次は1961年のおー」って言っているような気がしますが、ホントに61年はアメリカンポップの名作の宝庫ですよ。
今ではわかっていることですが、カリフォルニアのサーフィン文化の中心にいたような彼らですが、リードボーカルでアイドルだったデニス・ウイルソンがサーファーだったくらいで、リーダーのブライアン・ウイルソンはサーフィンなんて眼中にない音楽オタクでした。後に、ビーチボーイズの楽器の影武者仕事をしていたグレン・キャンベルが「あの兄弟はなんで仲が悪くてさあー」とか笑いながら暴露しちゃってます。
ビーチボーイズの初期音楽の一番の特徴は、インストにあるんじゃないかとわたくし思いますです。いわゆる「サーフィン&ホットロッド」と呼ばれた類のやつですね。
フォアフレッシュメン風バーバーショップ系コーラスワークはとりたてて凄いというようなものでもないし、50年代のバカテクミュージシャン連中と比べると、素人高校生バンドみたいなノリだしねえ。
でもそのチープな、いかにも60年代前半のダンスブーム、ゴーゴー、ツイストといったチープなイケイケノリを体現しているのは初期のビーチボーイズで、今聴くと、われわれ世代にはなんとも郷愁をかきたてるサウンドなんですよね。
なんの変哲もない、フェンダーのギターとベースの素直な音、シンプルな素人くさいドラムスがなんともいえず、いいんですよ。50年代のロックサウンドのほうがずっとヘヴィ。フルアコのジャズギターから出るぶっとい音といい、ウッドベースの重い低音などの代わりに、フェンダーの何もいじらないソリッドギターやベースのナマっぽい音はペンペンした軽いサウンドで、これはこれでありなんだろうな、と。むしろ、この音が好きな人が、「やっぱストラトが一番」とか言うのかも。
ジミヘン以降のギター音楽は、「ギターは単なる入力デバイスである」みたいになっていったのに対して、ビーチボーイズは、一応、「エレキもギターだよ」くらいの扱いになっている。
バディ・ホリーからきているのだと思いますが、器楽サウンドという点では、彼らは「最後の50年代ロック」っぽいところがありますね。
どんどん音楽が凝っていって、面白くなっていったとしても、こうしたシンプルで素直な音楽のエッセンスは決して古びないものです。「サーファーガール」はまるで55年のファイブサテンズの未発売だった「オール・マイン」だし、よく知られているように「サーフィンUSA」はチャック・ベリーの「スイートリトルシックスティーン」の歌詞を変えただけだし。そんなの、どこが神なんだ、と思っていましたけど、60年前後の生まれの人には、なぜか、ビーチボーイズの体現している当時の雰囲気、若者文化、みたいなもの、音の周りを漂っている空気の生暖かさみたいなものがとても懐かしい。60年代当時の熱海のハトヤホテルのロビーのインテリアみたいな、というのがわたしの印象です。
そもそものスポーツ、サーフィンの歴史は紀元400年のハワイまでさかのぼることができるそうですが、そこから広くアメリカ全土に広がったサーフィン文化はとりたてて珍しいものではなく、お散歩気分でするような、日本でいえば、ジョギング、くらいの感じだそう。音楽としてのサーフィン&ホットロッド音楽は、もともとはサーフィンをやりやすくする小道具、サーフィンでの高揚感を現した表現音楽としての側面があり、代表は自分自身がサーファーであるディック・デイルでしょう。
DICK DALE&DEL TONES "MISIRLOU"
この人の迫力ある澄んだリバーブの利いたエレキギターの高速ピッキングは確かにサーフィンを音で描きました、とでも言わんばかりで実に凄いんですが、それに比べるとビーチボーイズのしょぼいことったらない。コーラスワークとディック・デイルを混ぜたような感じなんですが、やはり、彼らの音楽はサーフィン&ホットロッドというレッテルでセールスをしていた、というのが当たっている気がします。まあ、軽いお遊びとしてサーフィンが好きな高校生あたりがターゲットだったんだろうなあ。
彼らの一番の売りは、「サーフィンとかの西海岸若者文化を歌った歌詞を古いドゥーワップにくっつけてエレキでペンペンしちゃったところ」じゃ内科!外科!整形外科!じゃあないかしらー。
そこが気に入らない、こんなの俺の音楽じゃない!といつも思っていて、もっと高度な音楽がやりたいんだ!俺はペナペナなガキじゃねえええ!とか吠えたらしいブライアン・ウイルソン。
兄弟たちと離れていき、自分自身のプロデュースで作りだしていったのが、その後のペット・サウンズなんだそうですが、これは、サーフなガキどもなビーチ・ボーイズの音楽に比べて売れなかったんですね。ブライアン・ウイルソンのこうした実験音楽はいまでは高く評価されていますが、当時は斬新すぎた。それでがっかりしすぎちゃって、引きこもりのジャンキーみたくなってしまった。そのあたりのめんどくさいいきさつはいろいろなところで書かれていますが、まあ、グレン・キャンベルが「あの兄弟仲わるー」って一言でまとめちゃってるんで詳しくは書きません。
それにしても、なんとなく、わが国のグループサウンズに多大な影響を与えただろうザ・ビーチ・ボーイズ。サーファーがおしゃれな文化として盛り上がった80年代を通り越してきたわれわれ世代にとって、ザ・ビーチ・ボーイズは過ぎ去ってしまった10代の夏を思い出すアイテムとしてちゃんと生きているんだなあと思います。
アメリカン・グラフィティのラストシーン、ザ・ビーチボーイズの「オール・サマー・ロング」がそうだったように。
THE BEACH BOYS - ALL SUMMER LONG


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