グレン・キャンベル
わたしがティーンネイジャーだったのは、1970年代で、当時のアメリカ音楽もよく好きで聴いていました。
特に、カントリー・ポップは、カーペンターズ、グレン・キャンベルなどが好きだったですね。素晴らしい歌に、なめらかなギター、ストリングスの粋なバッキングなど、当時の音づくりは特徴があって、今でもあのサウンドを聴くと懐かしさで一杯になります。リアルタイムで聴いていた音楽はいいですね。
さて、そういったわたしにとっての「懐メロアメリカン」のひとり、グレン・トラヴィス・キャンベル は1936年生まれ。
つい2年ほど前に、81歳で亡くなりましたが、アルツハイマー病であることを明らかにしたうえで、さよならコンサートを開き、それがドキュメンタリー映画になり、アルツハイマーの理解に大変に役だつ映画として、大きな評判にもなっています。
「アルツハイマーと僕」のタイトルで日本でも公開中。
キャンベルといえば、カントリー・ミュージック歌手としてしか知らない、という方も多いかと思います。しかし、もともとは卓越したスタジオセッションマンの集団「レッキング・クルー」のメンバーでギター奏者としても有名です。また、俳優としてもジョン・ウエイン主演のアカデミー受賞映画「勇気ある追跡」でゴールデングローブ賞までとっています。
約50年間で、70枚以上のアルバムを発表。レコード4,500万枚を売り上げ、12枚のゴールド・アルバム、4枚のプラチナ・アルバム、1枚のダブル・プラチナ・アルバムという華々しい大活躍。トータルで『ビルボード』誌のカントリー・チャート、
ホット100、アダルト・コンテンポラリー・チャートに80曲がランクインし、うち29曲がトップ10に入り、うち9曲が第1位になりました。
1967年の「ジェントル・オン・マイ・マインド」、「恋はフェニックス」でグラミー賞、2000年、2004年、2008年のグラミー殿堂賞、2012年には、グラミー特別功労賞。大記録であります。
アーカンソー州パイク郡ディライト近くの小さな町ビルズタウンの極貧家庭出身。そんな彼の楽しみは、叔父から教わったギターだったそうです。 1954年、キャンベルはアルバカーキに転居し、叔父のバンドであるディック・ビルズ&サンディア・マウンテン・ボーイズに参加。1958年、キャンベルは自身のバンドであるウエスタン・ラングラーズを結成。この叔父さんどんな方か存じませんが、のちの大スターとしてのグレン・キャンベルの育ての親という感じ。身内は頼りになりますなあ。
1960年、キャンベルはスタジオ・ミュージシャンになるべくロサンゼルスに転居。この頃、チャンプスにも参加したそうです。「テキーラ」で有名なグループ。グレンも「あーっ、うっ!」とか言ってたんでしょうか。もともと才能豊かなキャンベルはスタジオ・ミュージシャンとして高い評価を受け、のちのレッキング・クルーとなるスタジオ・ミュージシャン・グループに参加します。この時期にボビー・ダーリン、リッキー・ネルソン、ディーン・マーティン、ナット・キング・コール、モンキーズ、ナンシー・シナトラ、マール・ハガード、ジャン&ディーン、エルヴィス・プレスリー、フランク・シナトラ、フィル・スペクターのレコーディングに参加。「え?あの曲のギターはキャンベルなの??」みたいな話が山ほどあるんでしょうなあ。よく知らないけど。 ザ・ビーチ・ボーイズとリック・ネルソンツアーメンバーとしてはベース奏者になっている。
ホントになんでもできる人なんですよね。楽器なんでなんでもできて当たり前みたいな人。ホントに一流の人、って凄い。
その後、1962年以降、キャピトル・レコードからさまざまな曲を出しますが、鳴かず飛ばず。本当の転機が訪れたのは、6年後の1967年で、「ジェントル・オン・マイ・マインド」が大ヒット。「恋はフェニックス」、「I Wanna Live」、「ウィチタ・ラインマン」と大ヒットが連なっていきます。そして、1969年、キャンベルが出演した映画『勇気ある追跡』において、作曲家エルマー・バーンスタイン、作詞家ドン・ブラックによるテーマ曲「True Grit」を歌い、アカデミー賞楽曲賞およびゴールデングローブ賞にノミネート。日本の西部劇ファン(わたしです)にも広く知られる人になりました。
ついに、傑作、「ジェントル・オン・マイ・マインド」と「恋はフェニックス」でグラミー賞を受賞。歴史に残る60~70年代のヒット歌手となったのでした。
「ウィチタ・ラインマン」はのちに、20世紀の代表曲に選ばれてもいます。ウィチタの片田舎の風景が目にうかぶような(日本人ですら)素晴らしい歌。電線を修理するラインマン。どこまでいっても仕事が終わらない。はやく家に帰りたい。このシンプルな歌で泣ける人はアメリカ人かカントリー音楽を純粋に愛している人でしょうね。
そして、最大の成功は1976年、「ラインストーン・カウボーイ」がいきなり200万枚以上を売り上げたときで、これが最大のヒットになりました。
2005年、カントリー・ミュージック殿堂に殿堂入りしますが、アルツハイマー病に罹患、2017年6月23日、自身の終活として2012年から13年にかけてレコーディングしていた12曲を最後のアルバム「Adiós」として発売。それからわずか1ヶ月半後の8月8日、ナッシュビルの療養施設で亡くなりました。
それでは、どれがいいでしょう、そうだな、最大のヒット「ラインストーン・カウボーイ」、心に沁みる「ウィチタ・ラインマン」、どれもいいけれど、ここはわたしの個人的な思い出の曲、「トゥルー・グリット」でも聴いておしまいです。



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