フィリー・ソウルの神髄 ー スリー・ディグリーズ



70年代、アメリカですごく流行ったサウンドに「フィラデルフィア(フィリー)・ソウル」というのがあるのをご存じでしょうか。

流麗なストリングスが情熱をかきたてるような甘くてソフトなソウルサウンド。60年代ソウルのイメージがどちらかというと、管楽器が中心になり、粗削りで、ガッタガッタと突き進んだり、もしくはコーニイにまとまった渋いサウンドなのに対し、フィリーはとても都会的でゴージャスでロマンティックな感じです。

これは、フィラデルフィア・インターナショナル・レコードのハウス・バンドによるものでした。


背景としては、フィラデルフィアでは、黒人人口が多い割にはソウルは栄えず、アイドル歌手等による白人のポップ・ミュージックのほうが受けていたらしい。70年代以前にフィラデルフィアで勢力があったレーベルはキャメオ・パークウェイ。チャビー・チェッカーで当てたところで、流行のダンス・ミュージック中心で白人受けを狙ったものでしたが、このレーベルも1968年には倒産。


そこで、70年代の公民権運動の盛り上がりもあってか、より黒人向けのフィアラデルフィア。サウンドを目指したのが、フィラデルフィア・インターナショナル・レコードだったということのようです。

アーティストは、オージェイズ、ビリー・ポール、ハロルド・メルヴィン&ザ・ブルー・ノーツや、後にソロとなったテディ・ペンダーグラスなど。



さて、そんななかで、ひときわ忘れがたい、フィリー・ソウルを代表する、そして、日本でも極めて有名なのはスリー・ディグリーズ。

1963年頃にペンシルベニア州フィラデルフィアで結成されたグループです。


延べ15人のメンバーが入れ替わり立ち代わりしていますが、編成はトリオです。現在でも現役(ヴァレリー・ホリデー、ヘレン・スコット、フレディ・プール)。ホリデーは1967年、スコットは本当のオリジナルメンバー(1963年ー1966年)で1976年以降不動。特に英国で成功し、1974年から1985年の間に13のトップ50ヒットシングルを達成しています。


最初のメンバーは、ファイエット・ピンクニー(故人)が中心で、1967年から1976年までのグループの最大のヒット曲のほとんどはピンクニー、ヴァレリー・ホリデー、シェイラ・ファーガソンです。特に、わが国でも大ヒットした1974年大シングル「天使のささやき」(アメリカ2位、イギリスで5位)はこのメンバー。(当時のリードシンガーはファーガソン)。ピンクニーは1976年にヘレン・スコットと交代。


1989年から2010年(シンシア・ギャリソン、ホリデー、スコット)は、最も安定したメンバーで、1998年に「ラストクリスマス」をヒットさせたましたが、ギャリソンは健康上の理由で2010年の終わりにバンドを去り、フレディ・プールと交代。ホリデーとスコットは現在40年の古参メンバーとなっています。


さて、そもそもは、1965年にスワンレコードのプロデューサー兼ソングライターのリチャード・バレット(50年代にはシャンテルズをプロデュースしたガール・グループ・プロデュースの開祖みたいな人)によって発見されたことから始まります。

バレットとともに、数多くのシングルをリリースして、ナイトクラブでは名が出ましたが、レコード・ヒットには至らず。

バレットは、ワーナーブラザース、メトロメディア、ネプチューンと、今後3年間でレコーディング契約を結びましたが、ネプチューンは、5年後に出会うケニー・ギャンブルとレオン・ハフが所有するレコード会社でした。



1970年、彼らはルーレットと契約し、ファーストアルバム、「メイビー」をリリース。タイトル曲(シャンテルズのヒットとは同名異曲)で、米国のR&Bチャートで4位にランクインしました。シングル「アイ・ドゥ・テイク・ユー」と「ユア・ザ・フール」が続きます。セカンドアルバムも順調な売れ行き。この成功により、1971年の映画「フレンチコネクション」にカメオ出演し、ますます有名になっていったスリー・ディグリーズ。



"I DO TAKE YOU"



1973年、ルーレットとの契約が終了したとき、バレットはケニー・ギャンブルとレオン・ハフ(ギャンブル&ハフ)のフィラデルフィア・インターナショナル・レコードと契約。ここで最大の成功を収めることとなります。最初の録音は、テレビ番組「ソウル・トレイン」のテーマソング「TSOP」で、ついにチャートでナンバーワンに躍り出ます。


ファーストアルバムからは、「荒野のならず者」(オランダとベルギーでゴールド)、「イヤー・オブ・ディシジョン」(イギリスで13位)そして、シングルになった「天使のささやき(When Will I See You Again)が1974年8月に2週間にわたってイギリスでチャートにとどまり、アメリカでも2位、ゴールドレコードとなりました。

余談ですが、わたくし、中学生のころ、「荒野のならず者」を毎日聴きくるっていた時期がありまして、今動画を見ると、かっこよすぎて気絶しそうになります。


"DIRTY OL MAN"



続いて、1975年には、イギリスと日本のライブをアルバム化。2番目のスタジオアルバムからはヒットシングル「テイク・グッド・ケア・オブ・ユアセルフ」が、UKトップ10に到達。アルバムは日本でも大成功を収め「苦い涙」が日本から提供され、これもヒットしています。


1976年、スリー・ディグリーズはギャンブル&ハフと別れ、CBSソニー/エピックレコードに移り、2枚のアルバムを発売。

1980年代以降もイギリスではコンピ盤やベスト盤がトップ10入りのヒットになったり健在でしたが、それからなんと40年もたった2021年現在もまだ現役で活動中。亡くなったピンクニーを除き、ほぼオリジナルメンバーなので、大変な長寿グループといえます。




コメント

このブログの人気の投稿

ムードテナーの帝王 ー サム”ザ・マン”テイラーの軌跡

ジミー・ボウモント&ザ・スカイライナーズ

ロック・ザ・ジョイント - 1950年代前半のビル・ヘイリー その1