ミスター・ツイスト ー チャビー・チェッカー

 



みなさん、こんばんわっばばるーばっばわっばっぶーん!

なんだかんだ神田の次は東京ってわけで、あの、世界的に、今でも超有名な、若い人すら知っている、20世紀最大のダンス音楽(かもしれない)ツイスト、その一番有名な人、チャビー・チェッカーも今年で79歳だそうです。

まだ、現役!さすがに往年の勢いはなくても、まだステージでツイストしている永遠のダンス男。凄いですねえ。

しかし、ロックンロールの殿堂にチャビー・チェッカーがいないのはなぜでしょうね。

かなり以前から問題になってるらしいんですよ。チャビー・チェッカーに限らず、ロック黎明期の歌手はかなりの人たちが殿堂入りしていません。

チェッカー以外で、とりわけ驚きなのが、コニー・フランシス。ありえないでしょう!最もヒットの多い人なんですよ。

「ポップはロックじゃない」とでもいうのでしょうか。どこにそんな区切りがあるんでしょうね?

なんでロックの殿堂選考委員会は「ロック(実際、ポップと同義。ロックチャートなんてありませんよ。)黎明期のとりわけビッグヒットを出したスター、特にアイドル系」をことごとく無視するんでしょう。なんだか政治の匂いがしてきますよね。極東の片隅の日本人ですら、なんだこりゃ?的な疑問を持つ、ヘンテコな殿堂。まあ、それはさておき、まずは本題のチャビー・チェッカーのお話。




チャビー・チェッカーはロックンロールの黎明期に最も人気のあるアーティストのひとりでした。そのため、今でも多くの人が彼が殿堂入りしたことがないことを知ると多くの人が驚くそうです。ご本人も非常にこれを嘆いていて、どうにか入れてくれ、と長い間委員会に働きかけをしているらしい。

さて、有名な話ですが、この人、本名アーネスト・エバンスっていう「歌う肉屋さん」だったんですよね。

「カモンベイベエ!れっつずーざついすと!」とか歌いながら包丁振り回してたんでしょうか、怖いなあ。ちょっとホラ映画、もとへ、ホラー映画観過ぎでしょうか、ヘンな図を想像してしまいました。

エバンスくんは、サウスカロライナ州スプリングガリーの生まれ。サウスフィラデルフィアで育ち、両親とふたりの兄弟と一緒に暮らしましたが、まだ子供時代に、母親が有名なカントリーシンガーのアーネストタブのコンサートに彼を連れていったりしたそうです。

アーネスト・タブですよ、あーた。日本で言ったら「ちょっくら北島サブちゃんを見に行くべ」みたいな感じだべさ!

ところがなぜか彼は感銘を受け、「ボクもいつかショービジネスに入るんだ!」と思ったらしい。

最初は、11歳のときにストリートコーナーでアカペラ(ドゥーワップ)を結成したそうです。アーネスト・タブじゃないんだねえ。

とにかく、愉快でひょうきんな、ものまねが得意なティーンネイジャーだったエバンス君、養鶏場や農産物市場など、さまざまな職場でも冗談を言ったり歌ったりしていました。

フレッシュファーム養鶏場の店主が「こいつは面白い!」と、従業員を顧客にして、エバンス君のショーを始めちゃった。この店主の友人のはからいで、ディック・クラークのためにプライベートレコーディングをするように手配しました。

吹き込んだのはクリスマスソングで、ディック・クラークそのデモをクリスマスの挨拶として音楽業界の彼の友人や仲間全員に送ったところ、カメオ-パークウェイ・レコードがそれを気に入って、エバンス君が書いた「クラス」が、59年の初めにリリースされて最初のヒット曲になりました。

これがですね、まことにふざけたバカレコード。いきなり、ファッツ・ドミノが出てくる(エバンスくんのものまね。そっくり)。続いてエルビス、チップマンクス(当時子供に流行だったアニメ)まで出てくる。「おまえは、コロッケか!」「おまえは清水アキラか!」という声が聞こえてきそう(来ないよな、おまけに古いか)な出来栄えで、これじゃあ、殿堂入れないよなあ、コロッケだってレコード大賞とれないし。

いや、そういう話じゃない、だってこのあと、トップ40に21曲も送り込む大変なヒット歌手になるんですから。




1959年6月、エバンス君、もとへ、もうこのころは、チャビー・チェッカーですが、「ツイスト」を録音(オリジナルは、ハンク・バラード&ミッドナイターズ)。カメオパークウェイレコードの社長であるバーニー・ロウは、「ちょっと、これはなー、どっかなー。うーん」みたいな感じだったらしい。せいぜいラーメンもとへ、B面かも、くらい。

しかし、チャビーは「ツイスト」は特別なものだと感じ、ライブ・パフォーマンスをノンストップで行うことで、レコードの宣伝に熱心に取り組んだ結果、14カ月後の1960年夏、大ヒットになるわけですね。

次の数年で、「ペパーミント・ツイスト」、「ツイスト・アンド・シャウト」など、その名前に「ツイスト」を組み込んだ無限の曲が生まれましたが、そのきっかけとなったわけです。さらに、新しい曲ごとに、「The Jerk」、「The Hully Gully」、「The Boogaloo」、「TheShake」など「ビートに合わせて踊る」というコンセプトが大成功。

1961年、チャビーはドン・コヴェイとジョン・ベリーが書いた「ポニータイム」を録音しましたが、これが再びナンバーワンに。レコーディングとツアーの合間に、「Don'tKnockTheTwist」と「TwistAroundThe Clock」といった映画にも出演。

結局、「ツイスト」の大ヒットは、1960年、61年と62年の復活を合わせて9か月チャートにとどまったことになります。続いて、「フライ」と「レッツ・ツイスト・アゲイン」が出て、62年に「ベストロックパフォーマンス」でグラミー賞を受賞しました。その後もヒットが続きましたが、80年代に入ってもツアーを精力的に行うなど、現役を退くことなく活動を続けました。21世紀になると、彼はスナック食品事業に参入したりもしているようです。


CHUBBY CHECKER "LET'S TWIST AGAIN"



さて、「85歳になってから殿堂入りなんてしたくないよ。」と言うチャビー・チェッカー。

選定委員会の連中は音楽のことなんてなにもわかってない、政治的なものなんだ、という人もいるようで、なかなかこうした「偉い機関」ってのは難しいことが多そう.もっとも、昔書かれたロックエンサイクロペディアでもずいぶん軽い扱いでしたが。

クリエイティブだったのは、オリジナルのハンク・バラードのほうだろ、とか、単なるちょっと歌える歌手程度の存在で、ヒットしたのはプロデューサーの力だろ、とかいろいろ言われるのもわかるんですが、そんなこといったら、自分たちが演奏しているフリだけして実際はスタジオセッションマンが全部弾いていた無数のバンドなんてどうすんだ、とか現在明らかになっている様々な史実と照らしてみると不公平な気もします。


いずれにせよ、60年代に一世を風靡し、現在でもダンス音楽の古典として変わらない人気があるツイストを流行らせた張本人であるのは確かです。まあ、本人にしてみれば、ということを置いておけば、大ヒットも出したし、大スターにもなったし、大金持ちのセレブなんですから、それだけでいいような気もします。




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