スペクターサウンドとレッキング・クルー
つい先ごろ、フィル・スペクターが亡くなったというニュースが世界を駆け巡りました。
ロネッツの、ビー・マイ・ベイビーの、ウォール・オブ・サウンドの、あのフィル・スペクターです。え?テレビで日本語のつっまんないジョークを言うアメリカ人?それはデイブ・スペクターです!
フィル・スペクターは歴史上もっとも重要なレコード・プロデューサーのひとり。殺人犯として服役中だったのも有名な話ですが、結局、81歳で病死。噂ではコロナ合併症と言われています。
この人の波乱万丈な人生については、あちこちで書かれていて、改めてここで書きませんが、レコード史に巨大な足跡を残した人であることは確かです。
わたくしの個人的なこと言いますと、中学生くらいからこの人の大ファンでした。この人というより、この人の作ったレコードの大ファンですね。
わたしにはたくさん従兄従姉がおりまして、中にとてもうまいギタリストがいたんですが、彼が大学生のとき、中学生になったばかりのわたしはギターを教わっていたんです。
クラシックの難曲をこともなげにスラスラ弾いたりするのを真似することができなくて悔しかったのですが、サイモン&ガーファンクルあたりはなんとかついていけたかも。
その従兄が実は隠れファンだったのが、シルヴィー・バルタン。当時流行っていたフランスのアイドル的シャンソン歌手。で、わたしもアメリカの女性歌手が好きで、買ってきたレコードが、ザ・ロネッツ。
従兄に聴かせたところ、これは凄い、これは凄いなあ、とすごく気にいったのを覚えてます。で、そこからたどると面白いことがたくさんわかります。
その前に、スペクター自身のバイオではなくて、彼の生み出した有名なウォール・オブ・サウンドについて、少し述べます。
さて、よく「山下達郎が真似した」「大瀧詠一が影響を受けた」と言われる「音の壁」、いったいどんなものかというと、よく「多重録音」「今で言うところのピンポン録音(4トラックレコーダーの1トラックだけ空けておき、残り3トラックでとったものをまとめて空いたトラックへ録音、以下繰り返して際限なく重ねて録音する手法)」と書かれてますが、これって70年代にデイブ・マーシュが書いた「ロックエンサイクロペディア」から引っ張ってきたものだと思いますが、実は間違い。
多重で重ねたのではなくて、実際に「ギターいっぺんに7本(7人のギタリスト)、ピアノ4台(4人)がそれぞれユニゾンで演奏、ベースはふたり、管楽器はたくさん一度に、という具合に、狭いスタジオにめちゃくちゃたくさんのスタジオミュージシャンを集め、一発録音したのがウォール・オブ・サウンドです。リズムセクションとホーンセクションはまるごと1発で、ストリングスとボーカルをあとで多重録音、だろうと思います。
個々の楽器の音の輪郭がなくなり、全体でひとつの音の塊となる。フィル・スペクターが、モノラル・サウンドにこだわり続けたのは、音をひとつのかたまりとして感じてもらいたい、と思っていたからだと言われています。録音したゴールドスタースタジオのエコー室は有名だったそうで、 後処理のエコーエフェクトはほんの付け足し程度。この特異なサウンドは60年代前半のポップサウンドとしては異例なほど伝説化し、5年ほどと短命だったのに、いまだに語り継がれるものとなっています。
さて、このとき、ゴールドスタースタジオに集まったセッションメンが凄かった。一般社会にはその後もほとんど知られることがなかったロスの凄腕スタジオミュージシャンたち。彼らは現在では「レッキング・クルー」として知られています。
以前、当コーナーで書いた、自分で選んだベストオブベストソング40を見返してみると、1960年代前半から半ばのアメリカ音楽が大半を占めているのですが、ほとんどの楽器演奏がレッキング・クルーの手になるレコードばかりです。
レッキング・クルーが初めて世に知られたのは、2014年のドキュメンタリー映画「レッキングクルー」から。映画を作ったのは、ギタリストだったトミー・テデスコの息子さん。
レッキングクルーは、60年代初頭にLAに集まってきていた腕利きのスタジオミュージシャンの一群を指す言葉で、決まったバンドでもメンバーでもありませんでした。
彼らは、60~70年代の無数のレコーディングでバックを務め、トップ40クラスの大ヒット曲数百曲で演奏し、アメリカの音楽産業、ロックブームを舞台裏で支えた最も功績のある功労者たちです。そのほとんどは、まったく無名のままでした。
彼らはそもそもが40年代のジャズ、クラシック音楽時代から活躍してきたミュージシャンたちで、古いタイプのスタジオミュージシャン(スーツで義務的な譜面で演奏する職人たち)と違い、読譜に頼らず、自分たちの演奏を自分たちでアレンジして取り組むジーンズにTシャツの集団と認識していて、そのために古いタイプの連中から「レッキング・クルー(壊し屋の意味)」と呼ばれていたことから、ドラマーのハル・ブレインが名付けたと言われています。
主要な人物は、史上最高のドラマーと言われたハル・ブレイン(ビー・マイ・ベイビーで印象的なドラムを演奏している人)、キャロル・ケイ(ベース。最初の仕事はリッチー・ヴァレンスのラバンバの影武者ギタリスト)、ギターのトミー・テデスコ、ドラマーのアール・パーマー(もともとはファッツ・ドミノ、リトル・リチャードなどのNOロックンロールのドラムス)、サックスのプラス・ジョンソン、ピアノのレオン・ラッセル(のちにロックスターとなる)、ギターのグレン・キャンベル(のちにカントリーの大スターに)と言った人たちで、彼らは、まず一番先に声がかかる超売れっ子でした。
最も目立った仕事は、フィル・スペクターサウンドの楽器をすべて彼らがやったこと。それだけではなく、フランク・シナトラ、エルビス・プレスリーといったスーパースターのレコーディングから、モンキーズ、ビーチ・ボーイズをはじめとした人気バンドの影武者演奏(レコードは全部レッキング・クルーの演奏)といった具合で、表に見えていたアイドルバンドもレコードで聴けるのはレッキング・クルーの演奏です。
その連中も時代の変わり目、70年代に入ると、人気バンドが影武者でなく本当に自分たちで演奏するようになっていったので、
めっきり仕事がこなくなり、徐々に引退したり他の仕事に変わったりで、のちに映画としてまとめられるまでは忘れ去られた存在でした。
この映画を観ていて、はじめて気づいたのですが、ギターのトミー・テデスコはテレビ音楽の「ボナンザ」「トワイライトゾーン」の主メロのギターを弾いている人で、極めつけは「バットマン・テーマ」。
そして、レッキングクルーの一員として、フィル・スペクターのあらゆるレコードでギターを弾いてもいれば、当時のヒット曲のバッキング演奏には必ずといっていいくらい入っている人です。
私が子供のころになじんでいて大好きだった曲でギターを弾いていた人は、スペクターのレコードでもサム・クックのバックでも、リッキー・ネルソンのバックでもギターを弾いていたというのは目からうろこでした。結局、わたしは知らずにテデスコのファンだったということになるのです。また、映画で、サックスマンの代表として登場するプラス・ジョンソンは知っていましたが、大人になってから知ったジョンソンのレコーディングはどれも40年代から50年代のジャンプブルース。でも子供のころから実は好きだったんですね。だって、映画「ピンクの豹」の有名なサックステーマがこの人だったからです。
ドラマーのハルブレイン至っては、それこそ私が好きなベスト=ハルブレイン参加曲、くらいすごいですよ。一部だけでも、
ビー・マイ・ベイビー/ザ・ロネッツ
ジップ・ア・ディー・ドゥー・ダー/ボブ・B・ソックス&ザ・ブルー・ジーンズ
悲しき雨音/カスケーズ
ダ・ドゥ・ロン・ロン/ザ・クリスタルズ
誰かが誰かを愛してる/ディーンマーチン
恋の雨音/ザ・ロネッツ
花のサンフランシスコ/スコット・マッケンジー
結局、私はハルブレインのファンだったことが後から判明したようなもの。ついでにベースのキャロル・ケイも。
え?最初の従兄の話とどうつながるのかって?
そうそう、実は、サイモン&ガーファンクルも、なんですよ。彼らのレコードも実はレッキング・クルー。
なんか、当時、アメリカンポップやロックが好きだった連中って、今考えると、単に「レッキング・クルーという、メンバーも活動も定かでない巨大な覆面バンドのファンだった」ってことなんじゃないか、と思います。




コメント
コメントを投稿