ビーナス・イン・ブルー・ジーンズ ー ブリル・ビルディング・ポップの黄金時代


まずは、こちらから。


80年代の松田聖子の大ヒット、「風立ちぬ」。作ったのは、大瀧詠一。

有名な話ですが、この曲、あるブリル・ビルディング・ポップのあまり知られていない作曲家、ジャック・ケラーへのオマージュ。

曲は1962年の「ビーナス・イン・ブルー・ジーンズ」。「風立ちぬ」は、これのパクリといわれるくらいよくできてますが、決してパクリじゃないです。これは美しいオマージュ作品。

我々が聴いていた日本の80年代ポップは、60年代前半のニューヨークからずっとつながっているんですね。


ブリル・ビルディング。

ニューヨーク市マンハッタン区の49丁目通り、タイムズ・スクエアの少し北にあるブロードウェイ1619番地のオフィス・ビルの名前ですが、この中にたくさんの音楽出版社が入っていました。

ここで、1958年ころから1964年ころまでの約6年間、54曲のトップ10ヒットが作られました。まさに、「ポップソング工場」、これを、「ブリル・ビルディング・ポップ」といいます。


なぜこの6年間限りなのかは、かなり因果がはっきりしています。

まず、55年ころにエルビスなどロックンロールの大ブームがあったこと。

これは、もともと大手の音楽出版社が牛耳っていた流行歌の商品化システムを壊すものだったという特徴を有していました。

メンフィスの小さな、弱小スタジオから大スターが飛び出してきました、みたいなことは、それまでにはなかった。

そして、それが59年には打ち止め感が強くなったこと。

エルビス徴兵、チャック・ベリーの逮捕、バディ・ホリーの死。

そしてもうひとつ、ロックンロールのパイドパイパー役だったDJのアラン・フリードが犠牲になった、ペイオーラ事件。

ペイオーラ事件は、レコード会社が放送局を操ることも禁止されているのに、ロックンロールレコードの多くがDJにリベートを渡して優先的に流してもらっていたことが摘発された事件です。これがスキャンダルとなって、ロックンロールのイメージ低下を引き起こしたとされている。

そんな時代の流れの中で、会社システムで楽曲を制作する企業製品みたいなポップ音楽が復活し、流行しました。それが、ブリル・ビルディング・ポップであり、ロックンロール以前の流行歌システムであるティンパンアレイ式の復活なので、ある意味、先祖返りともいわれています。


そもそも、ここでいう、音楽出版社というのは、主に作者の著作権管理を主な業務とする会社のこと。

16世紀までさかのぼることができるそうです。当初は、作曲家から楽譜を預かり、一回貸出すごとに使用料を徴収するというやり方。この貸楽譜ビジネスが当時の最大のメディアである印刷物と結び付き、楽譜は広く販売(出版)されるようになり、楽譜の出版社として「ミュージック・パブリッシャー」という呼び方が定着。現在の音楽は、レコード化され、放送、映画などにも使用され、楽譜みたいな印刷物を売っているわけではなく、著作権という権利によって収入を得るシステムですね。




ブリル・ビルディングでは、作詞家作曲家から歌手スタジオまですべてそろっていて、まるで工場の流れ作業であるかのように曲が作られていった。出版・印刷・デモ音源制作・レコードの宣伝・ラジオのプロモーターとの契約が一ヶ所でできた。

作家たちは、その中で競争をし、それが高品質を保つ鍵だった、ということで、完全に会社システムですね。

実績上げれば部長になれるぞ、みたいな。作家、歌手などはいくらでもクビにできるので、実際の権力はすべて会社の上層部、経営陣が持っていたというのも、ヒットソングが完全に品質管理された会社製品だったことを物語っています。


ブリル・ビルディングの中には、たくさんの小さな音楽出版社が軒をつらねていたそうですが、今、歴史的に重要な、大ヒット連発会社というのは、アルドン・ミュージックで、ブリル・ビルディング・ポップ=アルドン・ミュージックといって間違いないです。


アルドン・ミュージックは名前のとおり、アル・ネヴィンスとドン・カーシュナーが1958年に設立。

契約作曲家はニール・セダカ、ハワード・グリーンフィールド、キャロル・キング、ジェリー・ゴフィン、ニール・ダイアモンド、ポール・サイモン、フィル・スペクター、バリー・マン、シンシア・ワイル、ジャック・ケラーなど。

流行が廃れると、ネヴィンスとカーシュナーは1963年に会社をコロムビア映画会社に大金で売って、アルドン・ミュージックは消滅しました。


黄金期を支えた職人集団の主なメンバーは、下記のとおり。


主な作詞作曲家


バート・バカラック & ハル・デヴィッド

ジェリー・ゴフィン & キャロル・キング

エリー・グリニッチ & ジェフ・バリー

リーバーとストーラー

バリー・マン & シンシア・ワイル

ドク・ポーマス & モルト・シューマン

ニール・セダカ & ハワード・グリーンフィールド

ポール・サイモン

フィル・スペクター

ローラ・ニーロ

フィル・メドリー & バート・バーンズ

ソニー・ボノ

トミー・ボイス&ボビー・ハート

ニール・ダイアモンド




主な歌手(シンガーソングライター含む)

ボビー・ダーリン

ドリフターズ& ベン・E・キング

コニー・フランシス

レスリー・ゴーア

ハーラス・ファイア

ダーレン・ラヴ

ライザ・ミネリ

トニー・オーランド

ジーン・ピットニー

ロネッツ

シャングリラス

ザ・シュレルズ

ドリス・トロイ

フランキー・ヴァリ & フォー・シーズンズ

ディオンヌ・ワーウィック




とびぬけたパフォーマーだったニール・セダカ、とびぬけたプロデューサーになったフィル・スペクター、のちにシンガー・ソングライターとして有名になったキャロル・キング、ポール・サイモンのような人もいますが、どちらかというと地味、すげえいい曲たくさん書いた作詞作曲家、っていう、裏方仕事がきわだっていた作詞作曲のプロが多かった。

この系統は、会社物語の一部でもあるし、一流の職人といった感じ。当たりそうな商品開発をする担当者、みたいな側面もあった。

ブリル・ビルディングが下火になった原因のひとつが、マンネリ化だったそうで、今聞いてもわかりますが、似たり寄ったりの曲が多い。コード進行は、黄金の循環コード(C,Am,F,G7)だし、歌詞の内容も「ヤングのためのラブソングです」で終わりそうなものばかり。

さらにダメ押しで、マージービート(作詞作曲、演奏、すべて自分たちでこなすイギリスのバンド勢)に押されて、ブリル・ビルディングは終焉に向かいました。


ですが、以前「個人的トップ40」でも書いたことがありますが、私が好きな曲って、ほとんど、ブリル・ビルディング製なんですよ。それくらいこういった商業製品的なポップは素晴らしいと思います。ほとんど完璧、と言ってもいい。

大金がとれるぞ、となったら、そらもう、ぜんぜんインセンティブのグレードが違います。私小説的に、訴えたいことを詩にたくした、とか、そういうのもいいんですが、それはまた別の話で、流通するポップ音楽、流行歌はプロの作家が作って会社システムの中でプロモーションまで組み立てられて行かなければ、みながいいと思うような曲も生まれないし、広まることもないでしょう。




さて、そんな中で、なにかひとつ、とびぬけたブリル・ビルディング仕事を挙げてみたいと考えて、すぐに思いついたのが、ほとんど知名度がない作曲家ジャック・ケラーが書いた「ビーナス・イン・ブルー・ジーンズ」。

このケラーという人、セダカやグリーンフィールド、バカラックといった超エリート(音楽の高学歴)ではなくて、ごく普通のバンドから出てきた、最も初期のメンバー。

曲は極めてシンプルなコード進行のものが多く、複雑なバカラック調とは異なりますが、単純なのに一度聴いたら忘れない、そんな曲をたくさん作りました。

ブリル・ビルディングがコロンビアに売却されると、映画やテレビに進出して、我が国でもよく知られているテレビ番組「奥様は魔女」のテーマを作ったりしています。

そののち、モンキーズのプロデューサーを務めたり、ナッシュビルに行ってアーネスト・タブ、クリスタル・ゲイル、ロレッタ・リンといったスター歌手の楽曲も提供するなど、多彩な活躍をした人です。


では、最後に「ビーナス・イン・ブルー・ジーンズ」。

ジミー・クラントンが歌いました。最初に書いたとおり、わが国でも後々まで有名になった名作です。

あえて、敬愛の念を込めて、風立ちぬのオリジナル、と言ってしまいましょう。







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