蓄音機声の怪人 ― レオン・レッドボーン
白い麻のスーツを着たレオン・レッドボーン氏は、そのあたたかな夕暮れに、葉巻をくゆらしながら、ゆったりと流れる川を眺めていた。
どこからか、蒸気船の汽笛が聞こえてくる。
レッドボーン氏の口から、葉巻の煙とともに、不思議に懐かしい旋律が流れ出る。
"I went down south to see my gal, polly wolly doodle all day..."
サングラス、口髭、クタクタになったパナマ帽、古めかしいリネンのジャケット、ボウタイ姿の田舎紳士。
大昔の戦前コメディアン、グルーチョ・マルクスのような出で立ちの怪人。
生声自体が蓄音機からきこえるビング・クロスビーのような、深いバスバリトンの声。
そんなおじさんが、ギブソンの旧いアコースティック・ギターを弾きながら、戦前の旧い唄をのんびりと唄うのです。 彼こそが、「知る人ぞ知る、アメリカで一番ヘンなおじさん」、「世界一無名な有名音楽家」、レオン・レッドボーン。
レッドボーンは、1970年代に、カナダの、とあるバーの片隅に、まるでタイムマシンに乗って、鼻歌を唄いながら戦前のニューオルリンズからやってきたかのような出で立ちで、突然現れ、大昔のアメリカ民謡「ポリー・ワリー・ドゥードゥル」を唄ったときから、伝説の人物になりました。
そして、そのまま、時が止まっているかのように、演奏スタイル、声、バックバンドの演奏、選曲、何もかも不変のまま、今日まで、すでに40年近く経っています。
しかし、昔も今も、レッドボーンのレコードやステージは、まったく変わらず、どっかの安酒場で、おかしな酔っぱらいのおじさんがデタラメにギターいじりながら、良い気分になって鼻唄を唄っているとしか思えないノリ。
そのまったく、やる気を感じさせない唄と、一見デタラメに見えるギター・テクニックは、技術と実力を感じさせないユルさを演出していて、これがたまらなく心地よい。
酒を片手に舞台袖からブラブラと登場、ギターソロを弾いたと思ったら、いきなり途中でやめてくだらない冗談を言い出したり、曲の演奏よりもサポートメンバーとの漫才が長かったり、単にグダグダと飲んでたり、といった具合。
「ショー」という気合いも気負いもぜんぜん感じさせず、曲もたいてい、毎回似たようなものをだらだらやるだけ。
それにもかかわらず、なぜかいつもお洒落で楽しい。1910年代から20年代のインディアナあたりの片田舎のバーにタイムスリップしてしまったかのようなオーラをいつも出している人なのです。
全部、計算尽くだったとしても、こんなに風変わりな演出をして、それが様になる、というのは、この人の芝居のうまさか、人柄そのものの力なのでしょう。
たとえば、2010年現在、100年近く以前のアメリカ大衆歌謡「プリティ・ベイビー」を演奏。レッドボーン自身は唄わずに、ギターのバッキングだけをしてみせて、観客に「さあ、みなさんが唄って!」といったりする。だけど、誰も唄えるわけがない。
「なんで、知らないんだ?こんな流行っている曲を!」と言って爆笑をとるレッドボーン。
本人が、「さあ、歌うぞ・・・・」といって、口をあけてポカンとしたまま、フリーズ。「なんだっけ?」
終始そんなノリでステージは進みます。でも、唄も演奏も、ちゃんと始まってしまえば、「戦前の超一流」といった感じの、摩訶不思議な世界へ連れて行ってくれるのです。
録音物のほうも、ステージそのまま。ローリングストーンマガジンが、かつて、「彼が唄うと、今のデジタル録音でも、まるで78回転盤のノイズが聞こえるように錯覚する。」と書いたことがありますが、不思議なほど本当に、「それらしく」聞こえるのです。
さて、この謎のおじさんの正体は、本名は、ディックラン・ゴバリアンというらしい、どうやら、1949年の生まれらしい、カナダの出身らしい、かみさんと娘がひとりいるらしい、現在、ペンシルヴェニア近くに住んでいるらしい、ということくらいしかわからないようです。ひところは、1929年インドのボンベイ(現ムンベイ)生まれだとか、いい加減なバイオが出回っていましたが、すべて本人が言った途方もない冗談だったようです。
最初に出たレコードは、1975年にワーナーから出た「オン・ザ・トラックス」で、2003年に出た「ライブ・アット・ザ・オリンピア1992」まで、30年に渡り、15枚のアルバムを出しましたけれど、すべて、同じように戦前のオールドタイミーな唄を、同じように演奏し、唄ったもので、見事なまでに首尾一貫しています。
ピアノ、ギター、テナー・バンジョウ、クラリネット、コルネット、スライド・トロンボーン、バス・サックスなど、最近ちょっとお目にかからないような楽器も含め、すべて、アコースティックな楽器でノスタルジックに奏でられるバックバンド演奏は、決して表面には出ず、全面的にフィーチャーされるのは、レッドボーンのトボけた唄とラグタイム調の生ギターです。
最も、たくさんとりあげられているのは、1910年代に活躍したミンストレル・ショーの芸人で、偉大なアメリカ音楽の父のひとり、エメット・ミラー(ライト・オア・ロングなど)。
そのほか、戦前ジャズ&ラグタイムの巨匠、ジェリー・ロール・モートン、戦前のコミカルな黒人歌謡のファッツ・ウォーラー、カントリー音楽の父といわれるジミー"ザ・ブレイキマン"ロジャース、ラグタイム・ギターの神様、ブラインド・ブレイクといった人々のナンバーです。
しかし、これらのアルバムには、あちこちに、こっそりと、豪華なゲストがちりばめられている。
ブラインド・ブレイクの「ディディ・ワー・ディディ」で始まるアルバム「ダブル・タイム」では、ヴィック・ディキンスン(カウント・ベイシーにいたトロンボーンの名手)、古き良きカントリーの香りがする「レッド&ブルー」では、ハンク・ウイリアムズ・JR、古いジャズの響きが心地よい「ウイスリング・イン・ザ・ウインド」では、リンゴ・スター、ハワイアンの風が入った「クリスマス・アイランド」では、ドクター・ジョン、そして、「エニイタイム」では、「リンゴの木の下で」をパースエイションズと共演。そんな豪華なゲスト陣も、まるで宴会でもしているかのようなユルさで、楽しそうにやっていて、一聴しただけで、力が抜けてしまいます。
「わたしは、普段、音楽には、全く時間を割かないんだ。」
「わたしは、スターでもなんでもないのだ。ちょうど、クルマみたいなもんだね。大昔の唄とムードを運んで歩いているタダのクルマなわけだ。」
「わたしはね、リハーサルって、したことないんだ、ぜーんぜん。これからやることをいちいち学んだりはせんね。次なんの曲やるかすら考えてないもの。思いつきでなんか演るだろ、そしたら次やるのがなんとなく出てくるわけだね。」
「わたしは、いろんなヘンな道具や怪しい機械をたくさん持ち歩いているもんだからね、飛行機には乗れないわけ。検問でひっかかるからね。だから、演奏会場まで、クルマでしか移動しないの。」
「わたしは、生来、メカニカルなことが好きなのだよ。すごく得意なんだわ。モザイク・ワークが趣味だしね。だけど、全然時間がとれなくて困っとるの。音楽に時間をとられてしまうんじゃないよ。全然、練習も勉強もしないから。日常生活だけで手一杯なんだよね。」
いろいろなことを言ってはいますが、本当でしょうか?
どこまでが演出で、どこまでが本当のことなのかわからない。
酔っているのかしらふなのか、冗談なのか本気なのか、やる気があるのかないのか、うまいのか下手なのか、一見しただけではわからない。素顔だって誰も知らない。ステージで飲んでいる酒だって、本当は、髭男爵みたいに「ファンタグレープ」かもしれないし。
とにかく、ロック時代以前の音楽、特に、「ジャズ」、「カントリー」、「ブルーズ」などの区分けすらない、1900年代~20年代あたりは音源すら少ない状況のなか、今日でも、「きっと昔はこうだったんだ。」と観客にこれほどの説得力を持って、再現して見せたり聴かせたりできるのは、レオン・レッドボーン以外、誰もいないのでないでしょうか。
レオン・レッドボーンは、まさに、マーク・トゥウェインが、ミシシッピーのリヴァーボートでギターをつま弾いていた遙か過去から、その当時の姿のまま、タイムマシーンに乗って21世紀にやってきた正体不明の怪人なのです。そして、そのタイムマシーンは、きっと蓄音機の形をしているはず。
今日も彼は、リヴァーボートが見えるアメリカ大陸のどこかの田舎町のベンチに腰掛けて、ほろ酔い加減で葉巻をくわえながら、ギターをつまびいていることでしょう。
(2019年5月30日、死去)
posted on2011年11月04日

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