夢見る想い - 昭和39年のジリオラ・チンクェッティ
私世代ってのは、青春時代に竹内まりやとか聴いてました。でしょ?
ちょっとこんなの発見。
竹内まりや「夢見る想い」
で、このなつかしー感じのメロディだわあ、あー、これってなんだか知ってるわ、と思うもの無理なし!
まあ、こちらでも聴いてみて頂戴の助。
梓みちよ 「夢見る想い」
おー、これって絶対に知ってる!知ってるザワールド!そんな番組、、なかったよねえ。
ま、それもそのはず、1964年のヒットですからね、わたしは3歳。ラジオだのテレビだので聴いていたとしても全く不思議ではありません。
そっかあ、他にも有名なバージョンがあるのかも、と探ってみた。
伊東ゆかり!伊東に来るならハトヤ!違いますね。懐かしいなあ。伊東ゆかり。現在73歳でまだまだお元気そうだ。うれしいじゃないですか。
ほかにも、ザ・ピーナッツ盤もあるんですね。ピーナッツのドーナツ盤ってなんか面白くありません?
ドーナツ屋のスぺシャルトッピングみたい。
しかし、この「夢見る想い」っていい曲だ。私世代の幼いころ刷り込まれたトラウマ名作みたいな感じもあるけど、それにしても、心に残る綺麗な曲だと思います。
で、実は、オリジナルがある。ヨーロッパ。イタリアの曲でございます。
ジリオラ・チンクェッティ「「夢見る想い」
ジリオラ・チンクェッティは我が国でも大人気でたくさんのカバーヒットであふれたそうです。(伊東ゆかり、梓みちよ、ザ・ピーナッツ、広田三枝子)1964年ですね。
「夢見る想い」は、原題を「Non ho l'età」と言いまして、コペンハーゲンで開催されたユーロビジョン・ソング・コンテスト1964で優勝した楽曲だそうです。作曲はマリオ・パンツェリ(イタリア語版)、作詞はニコラ・サレモ(イタリア語版)。
日本語では日本発売盤に付けられた邦題により「夢見る想い」とされるほか、原題の発音に準じて「ノノレタ」、「ノ・ノ・レタ」としても知られています。
この、ユーロビジョン・ソング・コンテスト1964で、この曲を歌った歌手がイタリア代表のジリオラ・チンクェッティ。
当時のチンクェッティは16歳で、史上2晩目に若いユーロビジョン・ソング・コンテスト優勝者だったそうです。
で、この可憐な女性歌手ジリオラ・チンクェッティは、1947年生まれ。現在は、73歳ですが、まだバリバリ現役の大歌手でございます。デビューが若かったので、いくら昔とはいえ、そんなに御歳ではございません。
このソングコンテストで一躍有名になった彼女は、ユーロビジョン・ソング・コンテスト勝者としては初めてUKトップ75にチャート・インして、イギリスでヒット歌手の仲間入りをしました。
続いて、1966年には「愛は限りなく」 (Dio, come ti amo) が世界的ヒット。当時、カンツォーネ・ブームの日本では、ボビー・ソロと共に本国イタリアを凌ぐ人気となります。
伊東ゆかり、弘田三枝子などの日本人歌手が彼女の曲をカヴァーしている、というのは前述したとおり。1979年に結婚引退するも、1989年のサンレモ音楽祭に出場を契機に完全に復帰。2017年11月には、24年ぶりとなる来日公演も行い、日本での不滅の人気も明らかになりました。
「夢見る想い」は、イタリア発の世界ヒットになり、英語版(This is My Prayer)、日本語版(夢見る想い)など、各国語盤が制作されました。このあたりは、当時のコニー・フランシスやニール・セダカといったアメリカヒット歌手と同じ手法で世界ヒットにしていったんでしょうね。さらに世界中の歌手が自国の言語版でカバーが制作されたわけです。
ジリオラ・チンクェッティ「「夢見る想い」(日本語版)
夢っていえば、記憶の整理なんだそうです。眠っている間に脳は短期、中期、長期、それぞれの記憶野に記憶を整理して割り振っている。動物の記憶の一番大切な部分は「場所に関する記憶」なので、実は、夢に一番印象深く登場するのは、人でも物でもなくて、場所なんですね。
子供のころに過ごした街、両親と出かけた懐かしい街、友達と冒険した路地、小さな公園と青空、夏に行っていた房総と伊豆の海の風景。夢の中ではそれら場所はごっちゃになって懐かしいのにどこかよくわからない不思議な風景を見ることが出来る。
明日はどんなところに行けるのか。脳の中の旅行は続きます。
そういえば、よく遊びにつれて行ってもらった伊東のハトヤホテルが映っている父の残した我が家の8ミリ記録映画には、こんな曲がよくBGMで流れてました。親父はカンツォーネ大好きでしたから。
夢見る想いを聴くと、昭和40年ころの風景が頭に浮かびます。それはそんなわけからなんだろうなあ、と思う。
みなさんの記憶を呼び起こすスイッチみたいな曲も必ずあるはず。音楽は永遠なんですね。



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