ママ、アイ・ウォント・トゥ・シング -ドリス・トロイの物語



ドリス・トロイ(1937年1月6日〜2004年2月16日)は、多くのファンに「ママソウル」として知られるアメリカのR&Bシンガー兼ソングライターでした。

目立つヒットは「ジャスト・ワン・ルック」のみで、「最も才能ある一発屋」と言われることもありますが、この人は後にそれとは関係なく、伝説となりました。それはある物語の主人公として、です。


さて、彼女の最大のヒットは、1963年のトップ10ヒットである「ジャスト・ワン・ルック」で、これはのちに最も多くカバーされたR&B曲のひとつとなっています。


Doris Troy - Just One Look



ホリーズ、フェイス、ホープ&チャリティー、メジャー・ランス、リンダ・ロンシュタット、ブライアン・フェリー、アン・マレー、クラウス・ノミ、ハリー・ニルソンなどなどキリがありませんが、われわれ世代でとりわけ記憶に残っているのは、リンダ・ロンシュタット版ではないでしょうか。リンダの曲だと思われていることが多いと思います。


Just One Look (Linda Ronstadt 2015 Remaster)


ドリス・トロイはブロンクスのハーレム生まれ。彼女の両親はペンテコステ派の教会の人であって、リズムやブルースのような音楽を認めなかったらしく、ティーンのころは父親の合唱団で歌いながら、リズム&ブルースで有名なアポロ劇場では案内係のアルバイトとして働いていたのだそうです。


その後、持前の歌唱力を活かしてレコーディング業界に入り、トロイはディオンヌ&ディーディー・ワーウィックとともにアトランティックレコードのバックアップボーカリストとして働くことになります。

彼女は1963年にThe Sweet Inspirationsの最初のメンバーとして、ソロモンバーク、ドリフターズ、ディオンヌ・ワーウィックなどのバックアップボーカルを歌った後、自作曲「ジャスト・ワン・ルック」を1963年のUSビルボードホット100で10位になる大ヒットにします。この、一度聴いたら頭から離れなくなってしまう魅惑的なメロディとリズムの曲は時代を超えてヒットしつづけ、今ではスタンダードになっています。



この曲は、1962年10月にプロデューサーのバディルーカスがアトランティックレコードのデモとして10分で録音したもの。

アトランティックはデモを聞いた後、再録音しないで、それをそのままリリースすることにしました。

ミュージシャンには、オルガンはアーニー・ヘイズ、ギターはウォリー・リチャードソン、ベースはボブ・ブッシュネル、ドラムはバーナード・パーディ。今では大スタンダードになっている録音、あまりに見事なバック演奏もすべて10分の即興というのもすごい話ですね。


その後、彼女は複数のアーティストやバンドのバックアップコーラスの仕事に戻りました。

ローリングストーンズ、ピンクフロイド、カーリー・サイモンハンブルパイ、ジョージ・ハリソン、ダスティ・スプリングフィールドなど多数に及びます。


1969年にロンドンに引っ越した後、ビートルズに誘われて、アップルレコードと契約。

翌年にはジョージ・ハリソンとの共同プロデュースでアルバムをリリース。74年にはアメリカに戻り、ラスベガスのクラブ歌手として活躍しました。



1979年、彼女の姉妹であるニューヨーク市のラジオの人気パーソナリティであるヴィ・ヒギンセンとの共作で、自身の生い立ちをつづった自伝「ママ、アイ・ウォント・トゥ・シング」を発表。スペインハーレムのヘクシャーシアターで1,500回公演し、トロイは自分の母親、ジェラルディンを演じています。しかし、当初、メジャーの舞台プロデューサーが全員無視するほど注目されず、非常に厳しい予算で小規模に始められましたが、これが結果的に大当たりをします。


黒人コミュニティ全体に口コミで広がり、結局、現在までにニューヨークで2,500公演、米国、ヨーロッパ、日本でさらに1,000公演がなされ、アメリカの歴史の中で最も長く続いているブラックオフブロードウェイミュージカルとなったのです。

興行収入も大成功で、1983年のデビューから4年以内に、300万人以上を動員、現在の価値で1億4,000万ドル以上を稼ぎ出したとされています。


こうして、一発屋にすぎないと思われていたトロイは67歳で亡くなった後も、ミュージカルの中の主人公として伝説の人となったのでした。





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