70年代カーペンターズをめぐるいわれなき悪評


わたくしが、中学、高校生くらいだった1970年代、すごく好きでアルバムを買いそろえたりしていた洋楽アーティストのなかにカーペンターズがありました。ホントに大好きだったのですよ。流れるような美しいメロディ、スムースなアレンジ、素晴らしいボーカル、ため息がでるほど見事な器楽演奏、すべてがよかった。

そんな、カーペンターズについては、日本語版ウィキペディアを読めば、実に事細かにフォローがなされていて、わたしが書くことなどなにもありません。

それほど、日本にとどまらず、世界各国で絶大な人気を誇り、今では完全にスタンダードとなっているカーペンターズの音楽。

唯一ひっかかっていたのが、当時の音楽評論家の酷評の数々でした。これはよく覚えている。ローリングストーンのアルバムレビューブックでも、酷い扱いで、星1つが並んでいたと思います。


当時、文句なく「専門家」の間で高評価だったのは、ビートルズ、ローリング・ストーンズ、古いR&B音楽(リトル・リチャード、チャック・ベリーなど)で、売れなかったマイナーなロックの中にも高評価なものはかなりありました。

一方で、まったく相手にされなかったのは、RCA移籍後のエルビス(サン時代だけしか評価しない人が多かった)、AORやイージーリンスニング系(パーシー・フェイス、、ポール・モーリアなど含む)、フランキー・アヴァロン、コニー・フランシスといったアイドル系など、売れに売れて大金持ちな白人、っていうのが嫌われる対象でしたね。

まあ、70~80年代は黒人公民権運動が最高潮に達していて、黒人文化を盗んだ白人は皆殺しだくらいの世相だったものだから、当時流行っていた「左翼インテリ白人」の最先端だった音楽評論界はそんなノリだったのだろうと、現在は思えます。



そんなこんなとは遠く離れた日本の東京に住んでいたわたしには、そんな感覚はまったくなし。だから、純粋に「音楽そのもの」を楽しんでいたのだから、わたしの感覚のほうが正しいと思う。アメリカで酷評されていた大多くの音楽が、イギリスと日本ではうってかわって大人気だったのは、当然じゃないか、それは音楽そのものを聴いていたから、と思います。

まあね、たぶん、カーペンターズを聴いた後でチャック・ベリー聴いたりすれば、とくに若い人は、カーペンターズは平板で甘ったるいつまらない音楽に聴こえるだろうと思う。それはそもそも比較の対象が悪いです。

あとはね、民俗音楽愛好家は間違いなくこうしたものを嫌いますね。チーズケーキっていうのね。

民俗音楽大好きですが、それをもとにポップを嫌うのは、変に歪んだ大衆主義みたいでどうかなー、と。

でなんでも横並びで「こっちよりあっちがすごい」「内容の社会的深みがどうの」とか言い出したら、たぶん、世界の音楽の99パーセントはつまらない、ゴミ同然と化すだろうと思うのですが、そこに当時の「専門家」は全く気付いていなかったと思います。

わたしが「音楽批評」だの「論評」をこそ、疑問視すべき、全く無視すべきだと思うようになったきっかけでもあるんで、そんなことも絡めて話しますね。

例えば、ウィキでいえば、下記のような部分があります。


(ウィキペディア日本語「カーペンターズ」から抜粋)

音楽評論家からの酷評

カーペンターズの絶大な人気は、音楽評論家たちの批判をはねのける勢いをもっていた。バラードやミドルテンポのポップスを中心とした2人の音楽性は、批評家たちから退屈で甘ったるいと斬り捨てられていたのである。しかし、レコード業界は2人にいくつもの賞を授与した。(中略)

多くの批評家たちから「ミルクを飲んで、アップル・パイを食べて、シャワーを浴びる」といった印象だと批判されたことに対して、リチャードはインタビューにおいてたびたび「自分はミルクなど好きではないし、ワインも飲む。マリファナ合法化のために投票さえした」とまで言いながら、そうした評価を払拭しようと努めている。

レイ・コールマンの著書 "The Carpenters:The Untold Story" (『カレン・カーペンター:栄光と悲劇の物語』)においてもリチャードは、カーペンターズのイメージをひたすら「清廉潔白」にしておこうと務めるA&Mの経営陣や、彼らの音楽よりも彼らのイメージばかりを批評する評論家に対して、自分がいかに嫌悪感を抱いていたかを強調している。


カーペンターズの再評価

カーペンターズの本格的な再評価は、1990年代から2000年代にかけて各国で制作された、"Close to You:Remembering the Carpenters" (アメリカ)や "The Sayonara" (日本)、"Only Yesterday:The Carpenters Story" (イギリス)などさまざま

なドキュメンタリーによってもたらされた。作品の技術的な質の高さや歌に奥底に秘められた悲しみ、カレンの歌声やその人生に刻まれた苦悩が多くのファンを惹きつけた。彼女の特徴的なヴォーカルが、その後のポップ・ミュージックにアン・マレーやリタ・クーリッジ、メリサ・マンチェスターといったアルト歌手を登場させる契機になったといわれている。

1990年代のR&Bグループ、ボーイズIIメンさえもが自分たちに影響を与えたアーティストとしてカーペンターズの名を挙げている。1990年にオルタナティヴ・ロック・バンドのソニック・ユースは "Tunic (Song for Karen)" という曲を録音した(アルバム『GOO』収録)。(以下略)



ね、やっぱり、日本より本国で、とにかく、辛口の批評、なんかではなくて、ボロクソというか、感情的に、ダサい、臭い、キモい的な悪口、多かったんですよ。いくつかの洋書を読んでショック受けた記憶あります。

批評家って、十中八九、音楽家じゃないです。作曲家でも作詞家でもミュージシャンですらない、文筆業として音楽を書くという行為をしようとすると、大変な音楽的知識が必要ですが、それを駆使したって的確に表現するのは難しい。聴けば一発でわかることなんでわざわざ文章で、ってのはこのブログ自体にも言えますね。

でも、そろそろ時効かなと思います。というのも、さすがに今は、70年代と違って、こうした連中は見かけなくなったからです。今はyoutubeで誰でも音楽そのものを配信して直接評価をもらえるんですから、よけいな文言なんていらないですよね。

それにしても、多くの賞を与えた音楽界、てのがいいよね。音楽界、レコード界って、要するに作り手側ですからね。これはすばらしい服だ、ってのをダサい物書きのおっさんじゃなくて、デザイナーやモデルが高評価したのと同じでしょ。こっちのほうがはるかに正確な評価なのは当たり前ですよね。


さて、評論の批判が長くなりましたが、当人のカーペンターズ、じゃあどこが素晴らしいかって話。そりゃあ、もう、聴けばわかります。素直な気持ちで、単純に音を楽しむというつもりで聴いてみてください。どんな人でもわかる。うちの、洋楽なんて嫌いだったオヤジですら、毎日聴いて、尺八用に自分で譜面化したりしてたくらいです。

CARPENTERS "RAINY DAYS AND MONDAYS"


彼らの歴史は、関心のある方はウイキでも読んでいただければと思います。わたしのような永年のファンでも知らなかったことがたくさん書いてある。

中産階級出身であること、レコードマニアの父からクラシック、ジャズ、ポップ、ロックまで子供のころから親しんだこと、インドアな兄とおてんばな妹の物語、小さなジャズ風コンボからスタートし、アレンジセンスをハーブ・アルバートに認められて少しづつ芽を出していった苦労話、飛ぶ鳥を落とす勢いの大変なヒットメーカーとなった70年代の全盛期、そして、カレンの哀しい死の物語、とカーペンターズの物語は終演に向かいました。

今、この原稿を書きながら、ちょっと久々に彼らの音源を聴いていますが、最初の出だしを聴いただけで、すらすらと歌うことすらできる。わたしは本当にカーペンターズが好きだったんだなあ、と改めて。

ちょっとね、過去ばかり振り返ってんじゃねえ、と言われそうですが、わたしはノスタルジアが大好きなんですよ。

前向きじゃないからよくない、という風潮がありますが、それも昔の批評家みたいに、酷いインチキだと思う。ノスタルジア、思いっきり結構、と思うのです。

YESTERDAY ONCE MORE、カーペンターズよ永遠に。



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