ザ・シャンテルズ ー 世界最初のロックガールグループ、ブロンクスへの帰還

 



2019年の4月5日、ゴールドレコードになったMAYBEの大ヒットで初期のロックンロール史に不滅の足跡を残したザ・シャンテルズは、ブロンクスのイースト166thストリートにあるパドヴァ教会で演奏しました。

ここは、彼女たちにとって始まりの地。小学生だった彼女たちが初めて人前でグループとして演奏した場所だったのです。

グループ名のシャンテルズは、ここの名前(school St. Frances de Chantal)からきています。

そして、この日、ニューヨーク市は、イースト166番通りとプロスペクトアベニューの角にある通りの名前を「シャンテルズ メイビー1958」に改名しました。


かつて、5人のオリジナルメンバー(アーリーン・スミス、ソニア・ゴーリング・ウィルソン、レニー・マイナスホワイト、ロイス・ハリス・パウエル、ジャッキー・ランドリー・ジャクソン)がパドヴァ小学校の聖アントニーに出席し、合唱団のメンバーとして出会い、シスターの指導の下で一緒に歌うことを学びだしてから、60年以上がたっていますが、この日は97年に亡くなったジャクソンを除くオリジナルメンバーがそろいました。


「今日の再会は、ロックンロールの殿堂入りしたときよりうれしかったわ。」

                     ハリス・パウエル(オリジナルメンバー)


THE CHANTELS "MAYBE" 2019



ザ・シャンテルズは、ヒットチャート入りした最初のアフリカ系アメリカ人の女性グループであり、また、同時にカトリック学校の合唱団から出てきた唯一のグループと言われています。

確かに、「Maybe」、「Every Night」、「The Plea」、「Prayee」など、多くのヒットは、どれも祈りに言及していて、教会グループとしてのルーツを感じさせるものが多いです。しかしながら、のちのソウルグループについて、よく言われたように、ゴスペルシンガーが転じていったものでないんです。

シャンテルズはクラシックとラテン音楽をもともと下地に持つグループでした。リードのアーリーン・スミスは音楽の神童で、12歳のときにクラシック音楽の歌い手としてカーネギーホールに出ています。それに楽器を演奏もすれば、作詞作曲の才にも恵まれていました。初期の素晴らしい音源は彼女のオリジナル曲(例:ヒーズ・ゴーン、ザ・プリー)です。そういう意味でも、このグループは「世界初」。オリジナルを作って歌い、ミリオンセラーを出した初の女性グループです。



シャンテルズが世間に広く知られるようになったきっかけは、リチャード・バレットと知り合ったときで、当時、ニューヨークで絶大な人気があったドゥーワップグループ、ヴァレンタインズにファンとして接した彼女たちが「わたしたちも歌ってるんです」と言ったのをすかさずバレットが連絡をくれ、と機転を利かせたことから始まりました。

バレットは、かなりヤクザな人だったという伝説もありますが、わが国でも大変有名だったスリー・ディグリーズをのちにプロデュースしたり、50年代から80年代にかけて大活躍した歌手、プロデューサー、作詞作曲家です。

リトル・アンソニー&インペリアルズ、フランキー・ライモン&ティーンネイジャーズもバレットのプロデュース。

1957年の夏、彼女たちはバレットの友人で、ニューヨークのインディペンデントレーベル、エンドレコードのオーナー、ジョージ・ゴールドナーに紹介され、契約。12月に出た二枚目のシングル、「メイビー」(バレット作)がビルボードトップ100の15位まで上がり、結局、ミリオンセラーとなり、ゴールド・レコードになりました。


THE CHANTELS "EVERYNIGHT"(1958)



1959年、それぞれの事情から解散したシャンテルズですが、その2年の間の代表曲は、「メイビー」のみならず、「エブリイ・ナイト」、「フーエヴァー・ユー・アー」、「イフ・ユー・トライ」など、どれも恐ろしく素晴らしい出来栄えで、当時は匹敵するものがありません。

彼女たち以前の有名グループはすべて白人。アンドリュー・シスターズ、マクガイア・シスターズなど、ティン・パン・アレイ・ポップを基軸とした、洗練されたオシャレなもので、オーケストラか小粋なジャズバンドを従えていました。

いかにも、シンプルで骨太なロックンロールコンボを従えて、生な純粋さを感じさせるグループは、シャンテルズが初めてでしょう。当時は、かなりの衝撃だったと思います。

結局、彼女たちは、ロネッツ、マーサ&ヴァンデラス、シュレルズ、そしてスリー・ディグリーズにいたる後続のあらゆる黒人ガール・グループの御手本になりました。


59年の解散後も、アーリーン・スミスは自分のグループを従えてソロ活動をし、他のメンバーは別のリード歌手をたてて、再び「ルック・イン・ユア・アイズ」などのヒットを出していますが、他の多くの後発グループに押されて60年代からは影が薄くなっていきました。


その後、アーリーン・スミスは、地元ブロンクスで教職につき、長年に渡り、地元のために尽くしました。

2019年以前にも、ピッツバーグで開催され続けたdoo-wop2000のステージでは、再びアーリーンを加えたオリジナルメンバーリユニオンが実現。そして、2019年には、とうとう始まりの地に、ストリートの名前になるという栄誉とともに、再演を果たしました。


youtube:"MAYBE"-The Chantels(reunion)



ザ・シャンテルズの偉大さというのは、どうしても他の多くのグループの中に埋もれてしまいがちですが、今、改めて聴くと、その本当に純粋な初期のソウルサウンドに圧倒されます。シャンテルズよ永遠に。心から敬意をこめてそう思います。





















 


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