コニー・フランシス



フランシスは、我が国でも「カラーに口紅」や「ヴァケイション」がカヴァーされて、知名度が高い人ですが、50年代後半から60年代前半にかけて、トップ10に12曲を送り込んだ女性歌手。これに匹敵するのは、ブレンダ・リーだけです。

アマチュアコンテストに出場した当初、イタリア系の人らしく、アコーディオンを抱えた歌手「コンチェッタ・フランコネロ」だったのですが、もっと覚えやすい名前にしなさいな、とアドヴァイスされ、「13歳のフランシスちゃん」になった彼女は、MGMからデビュー。1955年のことでしたが、その後もぜんぜん当たらず。

MGMもクビにしたがってるし、大学行くことにして、歌手やめちゃおっかなー、とか思いつつ、これで最後だあ、と吹き込んだ「フーズ・ソーリイ・ナウ」が思いがけないヒットになり、1958年にとうとうミリオンセラーになりました。

その後、ニール・セダカ&ハワード・グリーンフィールドのソングライターコンビが書いた「ステューピッド・キューピッド」がトップ10入り。セダカ&グリーンフィールドは、「フォーリン」、「ホエア・ザ・ボーイズ・アー」も提供して、どちらもヒット、さらに、「リップスティック・オン・ユア・カラー」、「フランキ-」とヒットが続いて、コニー・フランシスは、最も多くのトップ10ヒットを生み出す女性歌手となっていきました。


CONNIE FRANCIS "WHERE THE BOYS ARE" (ON STAGE FILM)



ティーン・ポップではなく、大人の歌手として大成する決定打となったのは、1959年にペリー・コモ・ショーで歌った「ママ」で、レコードはイタリア語と英語の両方で歌われたものが発売されてどちらも大ヒットし、以後、たくさんのアルバムを他国籍語ヴァージョンで吹き込むことになります。

1961年には、自身のテレビショーを持ったり、流行のバラエティ番組に出たり大活躍、映画界にも進出(ボーイ・ハント)、エルビスと同じように大スターへの道を歩んでいきました。彼女が売ったレコードはアメリカ国内だけで9000万枚にも及びます。

しかし、イギリス大襲来で影が薄くなり、最後のトップ10ヒットは、62年の「ヴァケイション」となりました。

しかし、今、tubeで、当時のライブ映像を見ると、その圧倒的な歌唱力に驚愕します。稀代の大歌手、といっていいのではないでしょうか。

(2012年02月25日に書いた記事です)

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