オーストラリア最初の世界ポップヒット ー ザ・シーカーズ




(注)この記事をTHE KINGのために書き、掲載された直後の2022年8月7日、ジュディス・ダーラムが帰らぬ人となりました。R.I.P 


シーカーズと聞いて、ジョージーガール、懐かしいなあ、と思い出す世代ももう60代以上となりました。

とりわけ、オーストラリアのグループなので、あまりなじみがないかもしれませんが、可憐な美人の女性リードボーカル、ジュディス・ダーラムの絶大な人気と相まって、世界中で売れに売れたグループ。

百聞は一見にシーカーズ! というわけで、こちらをご覧ください。


The Seekers - I'll Never Find Another You 



シーカーズはイギリスとアメリカで主要なチャートで成功を収めた最初のオーストラリアのポップミュージックグループと言われています。結成は1962年。

ポップとは言っても、聴けばわかるとおり、フォークグループとしてとらえられているかもしれません。

オーストラリアの音楽史家イアン・マクファーレンは、彼らのスタイルを「明るくアップテンポなサウンドで、ポップすぎて厳密にフォークとは見なされず、フォークすぎてロックとは言えない」と説明しています。

この非常に微妙な線が、ザ・シーカーズの個性を見事に言い表しているし、それは唯一無二の素晴らしいものでした。




1960年代に「アイル・ネヴァー・ファインド・アナザー・ユー」、「ア・ワールド・オブ・アワ・オウン」、モーニングタウン・ライド」、「サムデイ・ワン・デイ」、「ジョージー・ガール」でトップ10ヒットを記録。 

「アイル・ネヴァー・ファインド・アナザー・ユー」と「ジョージー・ガール」で、米国でも成功を収め、結局、世界中で5000万枚以上のレコードが売れたと言われています。

1967年、「オーストラリアン・オブ・ザ・イヤー」に、1995年、ARIAの殿堂入り。



ザ・シーカーズは、もともとは、1962年にメルボルンでベースのアソル・ガイ、12弦ギターのキース・ポガー、ギターのブルース・ウッドリーによって結成されました。

彼らは全員、ビクトリア州のメルボルン男子高校の同級生で、1950年代後半に活動を開始。最初は、ドゥーワップグループで、1962年に、辞めたリードシンガーの代わりに、ジャズ歌手として活躍していたジュディ・ダーラムをリードに抜擢したところからザ・シーカーズとなりました。

それにしても、50年代のアメリカ音楽を代表するドゥーワップスタイルは、オーストラリアでも流行したんですねえ。


ダーラムとガイは、同じ広告代理店勤務で、ダーラムは地元のジャズクラブの歌手でもあったので、ザ・シーカーズはダーラムのコネで、W&Gレコードとレコーディング契約を結びます。

彼らのデビューアルバム、Introducing the Seekersは1963年にリリース。彼らのデビューシングルは、トラディショナルなオーストラリアのブッシュバラード「ワルツィング・マティルダ」で、メルボルンの「トップ40」シングルチャート入り。

シーカーズは、1964年にイギリスをツアーした後、定期的にイギリスのテレビに出演することとなります。

イギリスで活動を開始後、ソングライター、プロデューサーのトム・スプリングフィールドと出会いました。

トムは、イギリスの歌姫、ダスティ・スプリングフィールドの実兄。

ダスティがソロになる以前に組んでいた人気トリオ、ザ・スプリングフィールズの結成人で、フォークっぽいポップヒットを書いていました。


シーカーズ「ほうー、ここがえげえれすかあ。おー、あれが和光の時計台だべか。」

トム「ハロー、違います、あれはビッグベンですたい!おいどんはトム・スプリングフィールド。よろしくですたい!」


なんてアホな会話があったはずはないですが、ばったり会っちゃったんだから仕方ない。


1964年11月、トムが書いた「アイル・ネヴァー・ファインド・アナザー・ユー」は、シングルチャートのトップ50入り。

とうとう、1965年2月に、英国とオーストラリアで1位、米国で4位になり、1965年の年間通して、イギリスで7番目に売れたシングルになりました。

続いて出た「カーニバル・イズ・オーヴァー」は、追い打ちをかけて世界ヒットになり、結局ミリオンセラーになった。


65年5月には、トム・スプリングフィールドの別の作曲、「ア・ワールド・オブ・マ・オウン」が、オーストラリアと英国でトップ3、米国でトップ20に到達。

さらに、スプリングフィールドの書いた次のシングル「ザ・カーニバル・イズ・オーヴァー」がオーストラリアとイギリスのチャートで1位になり、ピーク時にはイギリスだけで1日93,000枚を売り上げる勢いでした。


また、1965年には、英国でソロキャリアを追求していたポール・サイモン(サイモン&ガーファンクルの)と出会い、1966年、サイモン作の「サムデイ・ワンデイ」が、オーストラリアで4位、英国で11位。これは、ソングライターとしてのサイモンの最初の英国での成功であり、作曲家としての彼の最初のソロメジャーヒットとなりました。


そして、1966年12月、トム・スプリングフィールドの手になる決定版、「ジョージーガール」をリリース。

1967年2月にビルボードホット100で2位、キャッシュボックストップ100で1位に達し、世界中で350万部を売り上げ、とうとうゴールドレコードに。英国では3位、オーストラリアでは1位。


The Seekers - Georgy Girl (1967 - Stereo)



なんとも、明るくて、オーストラリアの風が吹きそうな曲調ですが、イギリスの磨き上げられたポップ曲でもあり、瞬く間に世界ヒットになったわけですね。


1967年、オーストラリア凱旋ツアーは、大成功。20万人の聴衆が参加。

1968年テレビスペシャル、The World of the Seekersが放映され、定期的に上映されて、オーストラリアで20世紀に最も視聴されたテレビ番組のトップ10に入っています。


しかし、残念ながら、1968年、ジュディス・ダーラムがソロとして独立、シーカーズは解散しました。

さすがに歌姫なしでは、解散ということになるでしょうね。


その後、70年代は分裂したまま、それぞれの活動を続けていきましたが、90年代に入って、リユニオンが実現。

2枚のアルバムは、プラチナ・ディスクを獲得。


2013年のオーストラリアツアー中、ジュディスが脳卒中になり、回復しましたが、これを期に引退。これがフェアウェルコンサートになりました。


わが国でオーストラリアポップというと、オリヴィア・ニュートン・ジョンが有名ですが、その先駆けとなった、ジュディス・ダーラムとザ・シーカーズのご紹介でございました。




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