ポップ音楽の大作曲家 ー チャールズ・チャップリン






子供のころ、よく日比谷の映画館に映画を観にいってました。小学生のころは母か父と一緒です。

当時、チャーリー・チャップリンの回顧上映シリーズがあって、全部観ました。残らず全部です。

で、あまりに好きだったので、ビデオを買いました!わけないですね、当時はそんなものありません。パンフレット、全部集めました。

ロードショーとかスクリーン(当時の映画専門誌。スクリーンはちょっぴりエッチで大好きだった)の切り抜き集でも飽き足らない。

で、買ってもらったのが、チャーリー・チャップリン映画音楽集2枚組。フランスのミシェル・ヴィラール・オーケストラによるチャップリン作品の映画音楽演奏大全集。

タイトルを、VIVA CHAPLINといいます。まだ持ってます、というより、これはわたしの子供時代からの音楽のバイブル。ついでに久々にLPを開いてみたらスクリーン誌の楽譜の切り抜き(ライムライトのテーマ)が出てきた。なんかもう、自分で勝手に感無量です。

こんなに素晴らしいレコードはありません。毎日、そらでオケの全部のパートをハミングできるくらい、聴きまくっていました。

このときから、今日まで、チャップリンは史上最大のポップス作曲家のひとりだと信じています。実際、たくさんの有名歌手がチャップリンが自ら作曲したテーマ曲をヒットチャートに送り込んでいます。





改めて簡単にご紹介しますと、喜劇王チャーリー・チャップリンは、本名、チャールズ・スペンサー・チャップリン。イギリス人です。生まれたのは、1889年ですから、のちに「独裁者」でチャップリンがコケにしてみせたアドルフ・ヒトラーとは同い年。

ちなみに、わが国の知名度高い有名人は、石橋征二郎。(ブリジストンタイヤの創業者)、作家の夢野久作などがいます。

ちょっと意外だったのは、ハッブル望遠鏡で有名な天文学者エドウィン・ハッブル。まあ、ずいぶん古い人ですね。

チャップリンがなくなったのは、1977年なんで、88歳と長命でした。


サイレント映画時代に名声を博しましたが、あの有名な浮浪者キャラ、山高帽に大きなドタ靴、ちょび髭にステッキという、今ではアイコンになっているキャラクターの元祖です。

映画史の中で最も重要な人物のひとりであって、サイレントからトーキーに至る時代に今でも受け継がれる物語映画の基盤を作ったといわれています。とくに、自伝的要素や社会的及び政治的テーマが取り入れられているため、作家性が豊かで単なるエンタテインメントに終わらない芸術性とメッセージを持っていました。というのも、子供時代は貧困と苦難に満ちており、救貧院に何度も収容される生活だった。飢えのあまり靴を食べるギャグがありましたが、あれは子供時代の実体験をもとにしている。

どれほど貧しかったかわかります。

やがて舞台俳優や芸人としてミュージック・ホールなどの舞台に立ち、19歳で名門のフレッド・カーノー劇団と契約後、アメリカ巡業中に映画業界からスカウトされ、1914年にキーストン社で映画デビュー。1919年にはユナイテッド・アーティスツを設立し、自分の映画製作を独立独歩の体制にのせます。

1920年代に長編映画を作り始め、『キッド』(1921年)、『黄金狂時代』(1925年)、『街の灯』(1931年)、『モダン・タイムス』(1936年)などを発表。おかしくも哀しい、貧困と社会の不平等、資本主義の矛盾を鋭く突いた作品を次々に製作し、ついに台頭してきたナチスへ喧嘩をふっかける大変な作品『独裁者』(1940年)でトーキーに完全移行しますが、体制側からの締め付けが厳しくなり、人気は急速に低下。1952年の『ライムライト』からアメリカへの再入国許可を取り消され、それ以後は亡くなるまでスイスに定住しました。1972年、やっとアメリカ側から再評価がすすみ、アカデミー名誉賞を受賞。

「今世紀が生んだ芸術である映画の製作における計り知れない功績」による、とされました。



さて、その音楽。

チャップリンは子供の頃から音楽が好きで、独学でチェロやバイオリン、ピアノを演奏していたらしい。1916年には、チャップリン音楽会社を設立するほど。音がないサイレント映画時代から映画音楽の重要性を訴求していて、『キッド』以降は伴奏音楽を指示したキューシートを付けて配給し、トーキーが出現すると、チャップリンは『街の灯』からのすべての作品で自ら映画音楽を作曲するようになりました。大変なこだわりと完ぺき主義で知られる人なので、音楽の探求具合も半端ではなかったそうです。

正式な音楽教育を受けていたわけではないため、楽譜を読むことができず、スコアを作る時はデイヴィッド・ラクシン、レイモンド・ラッシュ、エリック・ジェイムズなどのプロの作曲家に助けてもらいながらも、自分で作った曲で自分の映画を埋め尽くした。

そんな中から、後世に残る、世界中の音楽ファンに愛される大傑作を3曲作り出しました。

『モダン・タイムス』のために作曲した「スマイル」は、1954年に作詞家のジョン・ターナーとジェフリー・パーソンズにより歌詞が付けられ、ナット・キング・コールの歌唱でヒット。『ライムライト』のために作曲した「テリーのテーマ」は、ジミー・ヤングにより「エターナリー」のタイトルで広まった。そして『伯爵夫人』のために作曲し、ペトゥラ・クラークが歌った劇中歌「This Is My Song」は、イギリスのシングルチャートで1位を獲得。また、チャップリンは1973年年に再公開された『ライムライト』で、第45回アカデミー作曲賞を受賞しています。


さて、映画音楽を再現してみせたものの中から、まずは、「モダン・タイムス」のテーマとして有名な「スマイル」。


スマイル(モダン・タイムス)




ジュディ・ガーランドの素晴らしい歌唱版も。




バーブラ・ストライザンドも。




そして、世界ヒットになった極めつけはナット・キング・コール。




マイケル・ジャクソンもチャップリン曲が大好き。




続いて、ライムライト。哀しくも美しいテリーのテーマ。


ライムライト 



ペトゥラ・クラークの歌唱版。




そのペトゥラ・クリークがオリジナルと言っていい、チャップリン晩年の監督作「伯爵夫人」(主演はマーロン・ブランド)のテーマ、「ディス・イズ・マイ・ソング」。



そのほかにもたくさんあるけれど、もうこれだけで十分といっていいような、まったくの大傑作3曲であります。

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