ハードロックギターの発明者 ~ リンク・レイ



さて、ロック音楽が好きなら、知らない人がいない、ジミー・ヘンドリックス、ジミー・ペイジ、ザ・フー、レッド・ツェッペリンなどなど、ハードロックの有名バンドやギタリストたち。

彼らが有名にし、今では、すっかり当たり前になってしまったディストーションの効いた爆音エレキギター。あれは、誰が始めたのでしょう?


どこにでもいそうなサラリーマン風のスーツに帽子のお父さんが、音楽スタジオに行くと、「ギョワアアアアアンンンン!グイーンンン!!!」なんてエレキで爆音出しながら、芋虫みたいに身をよじらせて弾いているギター小僧がいました。にこにこと微笑みながら、お父さんは、休憩中のギター小僧に近づきます。


お父さん「ねえ、坊や、どこでそんなこと覚えたんだい?」

ギター小僧「今流行っているロックバンドでこうやってるんだ。どうやるのかギターマガジンの記事に出てたから、同じようにやってるのさ!」

お父さん「そのロックバンドって、もしかして、レッド・ツェッペリン?」

ギター小僧「ちげーよ!!そんなジジイバンドじゃねえよ!」

お父さん「ツェッペリンがジジイなら、ジミヘンはどうなっちゃうんだ?ザ・フーは?」

ギター小僧「なにそれ?化石かなんか?」

お父さん「化石か・・。ようし!じゃあ、これはどうなんだあああああああああああああああ!!」


お父さんがスーパーマンのようにスーツを脱ぐと、下から現れたのは、黒の革ジャン、帽子をとると、ヅラのようなリーゼント!大昔のロックンローラーそのものです!

そして懐からドラえもんのように取り出したのは、めっさ古くて安―い50年代のダンエレクトロ・ギターリン!(当時のメンズ雑誌に出てる通販用ギター。)

お父さんがそのギターをアンプにつないで狂ったように弾き出すと、「ドギャアアアアアンン!!!!!!ギュイイイインンン!!!ブワオオオオオンン!!!」

「か、かっけぇ・・・」ギター小僧は、目を丸くして卒倒していまいました。

お父さんの正体は、実は、「ハードロック・ギターの発明者」リンク・レイだったのです!!


と、まあ、ずいぶんくだらない空想で始まりましたが、リンク・レイは、1958年にリンク・レイ&レイメン名義で出したシングル、「ランブル」たった1枚で、ロック・ギターの歴史を塗り替えてしまいました。

1958年といったら、あーた、まだ、バディ・ホリーが生きてた時代、レッド・ツェッペリンが出る10年前です。

「ランブル」以前、エレキギターは、ジャズコードをクリーンな音で鳴らす楽器、という使われ方が一般的で、40年代以降、最もフツウにエレキが使われていたジャズはもちろん、過激なスタイルのジャンプ系ブルーズ、1950年代に入ってからのロカビリーやロックンロールに至るまで、基本は同じでした。

レイが「ランブル」でやってみせた、歴史的な変革、というのは、「ディストーション(ファズ)サウンドの発明」と「パワー・コードの発明」です。

「ディストーション」というのは、今では当たり前のように使われている「音をゆがませる」ことで、「パワーコード」というのは、ハードロック以降、一般的になった「5度インターバル」のコードフォームのことであります。





1929年、ノースキャロライナ生まれの変わり者、フレッド・リンカーン・レイこと、リンク・レイは、非常に貧しい家庭の生まれで、しかも、母がチェロキー系ネイティブ・アメリカンだったため、人種差別時代の苦労を味わった世代の人でした。家には、ラジオを買う金もなく、お金持ちの家の近くまで行って、家の中から漏れてくるラジオの音を聴いていた、といいます。


レイは、朝鮮戦争の古参兵で、本格的に音楽に取り組みだしたのは、復員してからでした。

兄弟のヴァーノン、ダグ、友人のショーティ・ホートン、ディクシー・ニールと組んだ彼は、「ラッキー・レイ&パロミノ・ランチ・ハンズ」として、カントリー音楽やウエスタン・スイングを演奏し、ワシントンDCのテレビ番組「ミルト・グラント・ハウス・パーティ」に出演、ファッツ・ドミノからリッキー・ネルソンに至るゲストスターたちのバックバンドとして活躍するようになります。


レイの初期のアイドルはチェット・アトキンズで、こうした活動を続けていたわけですが、プロ活動を続けつつも、実は、カントリー・バンドには飽き飽きしていました。

「軽くブラシでたたくだけのドラムズや、ワーワーうなってるスティールギターには、ほとほと飽き飽きしたんだよ。馬鹿馬鹿しいくらい飽きて、辞めたさ。」


1956年、兵役についている間にわずらった重い結核がもとで、左肺を切除したレイは、唄を唄うのが困難になりましたが、そのころ、エルビス・プレスリーのバックにいた、スコティ・ムーアのギターを聴いたレイは、「ロックンロールこそオレがやりたいことだ!」と確信、独自のエレキギターのサウンドを作ることに熱中したといいます。

レイの演奏は、当時としては、はちゃめちゃな爆音ギターだったのですが、彼は、ギターアンプのツィータースピーカーに鉛筆で穴を開けてセッティングを工夫すると、ディストーション(ファズトーン)サウンドが出ることを発見したのです。

当時は、リヴァーヴ以外、ギター・エフェクターなんてものはない時代でした。


そんなある日、「ストロール」の大ヒットを飛ばしていた、ドゥーワップ・グループ、ザ・ダイアモンズのバックを勤めることになった彼ら。

「お!イカすベース!イカすリズム!ちょいと、かっけえギターフレーズでも弾いてみっか!」と言ったか言わないか知りませんが、本来、ドゥーワップ・コーラスの曲である「ストロール」を、コードソロ主体のギター・インストルメンタルにしてみたのです。

これに目をとめたのが、ケイデンス・レコードオーナーのアーチー・ブライヤー。

レイの演奏を生で聴いていたブライヤーの娘さんが、「これって、すっげえ、かっこよいですわ!これまで聴いたこともないイケてるギターよ!!お父様!そうだ!この曲をランブルと名付けましょう!」とおっしゃったおかげで、「ランブル」は、1958年に日の目を見ることになるのです。


当初は、歌詞がないインストにもかかわらず、その凶悪な曲調とタイトル(ランブルは、「チンピラのけんか」を意味するスラング。)で、放送禁止になったりしていた「ランブル」ですが、おかげさまでの大ヒット。しかも、アメリカのみならず、イギリスでも大ヒットになりました。


リンク・レイは、ファッション的にも、大変にクールで、実演でも人気がありました。

80年代に、50年代のレイの写真を見て、すっかり虜になってしまった人に、現在大活躍中のギタリスト、デック・ディカーソンがいます。

「どれほど、格好良かったかわかるかい?脂ぎったポンパドール(リーゼント)、白黒ツートーンの革ジャンと同じツートーンの靴、そして、ダンエレクトロのギターリンを抱えてニヤニヤしてるんだぜ。すごいのは、そのどれもが、シアーズ・ローバック社(チープな物販専門の商社)の通信販売アイテムだってことだよ!」

実際のレイは、酒は一切呑まず、ヤクはもちろん、タバコも吸わず、おまけに、徹底したヴェジタリアンで、ハンバーガーも食わない、という、まるで、修行中の坊さんみたいな人でしたが、かなり複雑な人柄で、普段は皆が認めるいい人なのに、切れやすいところがあったり、精神的に極端に女性に頼るタイプの人だったらしく、女性トラブルが常に絶えなかったりしたようです。


その後、リンク・レイ&ザ・レイメンは、1950年代の終わりから60年代後半にかけて、「ローハイド」、「エイス・オブ・スペイズ」、「ジャック・ザ・リッパー」、「バットマン・テーマ」など、ハードロックインストルメンタルを次々にリリースしますが、一方で、イギリスでもアメリカでも、最初の「ランブル」で衝撃を受けてギターをはじめた少年たちが、次々と有名になっていきます。


代表格は、ザ・フーのピート・タウンゼント。

「リンク・レイこそが、オレにとっては、キングだったんだ。なにしろ、ランブルでぶっ飛んだんだよ。あれを聴かなかったら、ギターなんて弾き始めなかったと思う。」


タウンゼントは、レイそっくりに弾くことからスタートし、それが新しい時代のロック、「ハードロック~ヘヴィメタル」への道を切り開くことになりました。

さらに、レイの影響をモロに受けた、ジミー・ヘンドリックス、ジェフ・ベック、マーク・ボランといったギタリストたちが、新しい世代のハードロックのヒーローとなっていったのです。

しかし、レイ本人は、50年代の古い世代のミュージシャンとしてヒットを出すことが出来ず、忘れられていきます。そして、1970年代には、度重なるプライベートな女性問題が積み重なって、表舞台からは遠ざかっていきました。



映画音楽の分野では、タランティーノの「パルプ・フィクション」を筆頭に、さまざまなアクション映画のテーマとしてレイのギター音楽がとりあげられましたが、ヨーロッパに引っ越してからは、知る人ぞ知るミュージシャンとして、ドサ廻りを続ける生活のまま、2005年にデンマークで亡くなりました。76歳。


振り返ってみれば、リンク・レイは、1968年ころから始まる、ハードロック・ムーブメント(ヘヴィ・メタル)の10年先を行っていました。レイは、ローリングストーン・マガジンが選んだ「世界で最も偉大な歴史的ギタリスト100」のひとりに選ばれており、また、本国のふるさとであるメリーランド州は、1月15日を「リンク・レイの日」と定めています。

(2011年に執筆した記事です。)

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