シンガーソングライターとフォークロックの元祖 ー ジャッキー・デシャノン
デシャノンといえば、カリフォルニアのエリー・グリニッチと呼ばれた人です。
ちなみにグリニッチはニューヨークのブリル・ビルディングのソングライターで、最も有名な曲は、ロネッツの「ビー・マイ・ベイビー」でしょう。
さて、デシャノンはなんといっても、素晴らしい歌手で、それにふさわしいデビューを飾りましたが、今日では、その名声をしのぐのが、ソングライターとしてのキャリアです。
それが、カリフォルニアのエリー・グリニッチといわれる所以。
さらに、彼女は、ロック時代最初の女性シンガーソングライターであると同時に、フォークロックの元祖でもあるのです。
歌手として最も知られているのは、「ホワット・ザ・ワールド・ニーズ・ナウ・イズ・ラブ」と「プット・ア・リトル・ラブ・イン・ユア・ハート」、ソングライターとしてのたくさんの名作のなかでは、「ホエン・ユー・ウォーク・イン・ザ・ルーム」と「ニードルズ・アンド・ピンズ」、そして、キム・カーンズのカバーが世界ヒットになった「ベティ・デイヴィス・アイズ」でしょう。
カリフォルニアの、と言われましたが、生まれはケンタッキー。カントリー音楽のふるさとみたいなところです。
11歳でイリノイに引っ越して、13歳のときには、すでに歌手として地元で有名になり、自分のラジオ番組まで持っていた。
神童というのでしょうね。
その年、1956年には、ウエスタンスイングの元祖のひとり、ピィー・ウィー・キングのテレビ番組に出演、評判になります。当時の芸名は、シェリー・リーだった。
1957年に、ロカビリーシンガーとしてジョージ・ゴールドナーのゴーンレコードと契約したときは、ジャッキー・ディーだったんですが、カントリーソングのほうで注目をあびた。ジャッキーに注目したのはエディ・コクランで、この人のガールフレンド、シャロン・シーリーにジャッキーを紹介。そしてふたりはソングライターコンビとしてブレンダ・リーの「ダムダム」をヒットさせます。
なお、シャロン・シーリーは、コクランの「サムシンエルス」を書いた人。その後もグレン・キャンベルに曲を書いたりしたソングライターです。
しかし、ヒットに恵まれたもののシェリー・リーだかジャッキー・ディーだかよくわかんなくなっちゃったジャッキーさん、
「ぶれんだりーみたいなしぇりーふぶれいみたいな、なーんだかまぎらわすいーしぱっとしないげーめーだわ、あだすって。」
なんてド田舎なまりでしゃべったとも思えませんが、ご先祖様の名前を拝借して、ジャッキー・デシャノンとなりました。
1960年になると、「ロンリイ・ガール」や、「ザ・プリンス」がトップ100に引っ掛かりだします。
そして、1963年、自作の「ニードルズ・アンド・ピンズ」と「ホエン・ユー・ウォーク・イン・ザ・ルーム」が立て続けにでますが、それが大ヒットになったのは、イギリスでサーチャーズ版カヴァーがでたときでした。
ニードルズ・アンド・ピンズ(ザ・サーチャーズ)
ここで、ジャッキーはマージービート旋風の波に乗り、イギリス勢があがめるアメリカの大作曲家へと変貌を遂げました。
こうして聞くと、たしかに、典型的なマージービートサウンドに聴こえますが、実は、バリバリのアメリカンポップだったのですよね。
ホエン・ユー・ウォーク・イン・ザ・ルーム(ジャッキー・デシャノン)
ジャッキーは、ティーンポップだけでなく、カントリーからソウルサウンドまで非常に幅広いシンガーで、枠にとらわれずに素晴らしい歌声をリバティレコードにたくさん残した大歌手でもありました。
エルビス・プレスリーとデートしたり、エヴァリーブラザースやリック・ネルソンと友達になったりしてもいます。
ジャッキーの大活躍は1964年に最高潮となり、ビートルズとツアー、まだ駆け出しだったギタリストのライ・クーダーとバンドを結成、ジミー・ペイジとソングライティングチームとなり、シェール、マリアンヌ・フェイスフル、バーズなどに楽曲提供をしたりしています。
1965年、自作でない、バート・バカラックとハル・デビッドが作った「ホワット・ザ・ワールド・ニーズ・ナウ・イズ・ラブ」でとうとう歌手としてトップ10入り。名実ともに、超一流のソングライターとしてだけでなく、大歌手としても名声を不動のものとしました。
ホワット・ザ・ワールド・ニーズ・ナウ・イズ・ラブ
そして、自作曲、「プット・ア・リトル・ラブ・イン・ユア・ハート」もトップ10入り。ゴールドディスクの世界ヒット。
プット・ア・リトル・ラブ・イン・ユア・ハート
その後、ピークは過ぎたものの、1970年代に不発だった「ベティ・ディヴィス・アイズ」が1981年、キム・カーンズによって大ヒット、となり、これでジャッキーはグラミー最優秀楽曲賞を受賞。
2011年には彼女の最も有名な曲の新しいレコーディングとして「ホエン・ユー・ウォーク・イン・ザ・ルーム」がリリースされましたが、これを最後に主だった活動は見られないようです。
まあ、御年80歳なので、無理からぬところでしょうか。
それにしても、ジャッキー・デシャノンの軌跡というのは、ロカビリー、カントリーのアイドルっぽい歌手から転じてマージービートで大人気の作曲家になったり、そのソウルフルな歌声で魅了したり、さまざまな顔を持った本物の音楽の天才ぶりというのがよくわかります。
あと最後に、つけくわえると、「ニードルズ・アンド・ピンズ」を聴けばわかりますが、これはのちのフォークロックサウンドの元祖。いわれてみれば確かに。
なんでも最初にやってしまう、というのが、これまたすごい人であります。
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