ふたりのガンター ~ ロックのご先祖様






こんばんは。八十六頑太です。

ハトロクガンタ!みなさまのハトロクガンタでございます!次の選挙にはぜひわたくしハトロクガンタ!ハトロクガンタ!

をよろしくお願いします!

いやー、地方選挙に出てきそうな名前だー、と思いますがいかがざんしょ?なにがざんしょだ!馬鹿者!もう残暑なんて終わったわ!

なんだかんだでアナコンダ!大丈夫です、まだ完全には狂っていません!

というわけで、ハードロック・ガンターをご存じの方は最寄りの警察署まで、ではないですね、滅多にいません、たぶん。


与太はこれくらいしまして、ハードロックっていってもレッドツェッペリンをコピーしてた近所のガキの頑太くんではなくて、ホントに文字通り「硬い岩」のこと。

硬井岩男なんて名前もありそうですなあ。この人、本名をシドニー・ルイ・ガンター・ジュニアというので、少しフランス系っぽいのかな。生まれは1925年なので、同じ歳の似たような立場の人はビル・ヘイリー御大です。ヘイリーと違ってこの人、ほとんど無名に近いけれども長生きした。2013年没、となっているし、最晩年に撮られたインタビューもある。

カントリー&ウエスタン、ウエスタン・スイング系の人ですが、ロックのご先祖様のひとり。


アラバマ州バーミングハムの生まれ。ティーンころからマセガキだった頑太くん、フートオウルランブラーズというバンドを作ったり、ノベルティソングをソロで歌ったりして大活躍、1939年にゴールデンリバーボーイズというカントリースイングバンドに加入。

ここで、「バンの扉に挟まれる事故にあってもケガひとつしなかった」という理由で、硬井岩男、じゃなかった、ハードロックというあだ名がついたらしい。いやー、つまんねえ理由だなあ。でもね、モダンジャズの神様チャーリー・パーカーだって、あだ名のバードの由来は、ツアー中、車でうっかり曳いてしまった鶏をわざわざ拾いにいって、持ち帰り、「みんなで食おう」といったからだそうですよ。どこが面白いんだこの話。


ジモピーの間で評判になったガンターさん、バーミングハムのローカルなレコードレーベル、バマでもって、「バーミングハム・バウンス」という曲を吹き込んだ。で、これがなかなかのローカルヒット。20ものカバーバージョンが出た。そのうち、有名人のレッド・フォーリー盤がビルボードのカントリーチャートとポップチャート両方でヒットしたから、これはいわゆるひとつの「最初のロックレコード」なわけですよ。1950年ですからね。少し後のヘイリーと比べるとかなりサウンドは古臭いかもしれないが、先駆だったのは間違いない。


Burmingham Bounce - "Hardrock" Gunter 1950 (Bama label)



51年にはメジャーのデッカ(もちろんヘイリーがのちに入った)から、ドミノウズの大ヒットR&Bナンバー「シクスティ・ミニット・マン」を出したりして、ますますロックの先祖みたいなことを始めます。53年にはサンレコード(もちろんエルビスがのちに入った)で、「ジュークボックス・ヘルプ・ミー・ファインド・マイ・ベイビー」を出したりして、これもローカルヒット。

ガンターは60年代まで活動しますが、なかなか成功せず、引退。コロラドで保険業に転職。90年代、伝説的なロックの先祖となってポツポツとヨーロッパで活動しますが、2013年に88歳で死去。


で、時間がずーっと戻りまして、1954年。

「ベイビー・レッツ・プレイ・ハウス」というエクセロから出たレコード。吹き込んだのは、アーサー・ガンター。こちらのガンターさんは黒人でありまして、1926年生まれ。先の硬岩氏とほぼ同級生。

これがR&Bチャートの12位にまでなるかなりのヒット。でもって、ご存じのとおり。メキメキ人気が出てきたサンレコードの新人、エルビス・プレスリーが吹き込んで超有名曲になり、ガンターさんも歴史書に出てくるようなロックのご先祖様入りしたのですね。61年にエクセロを辞めてミシガンに移り、たまーにシアターで演奏するだけという活動をした後、73年に引退。76年に49歳で亡くなっています。





ARTHUR GUNTER BABY LET'S PLAY HOUSE



カントリーとリズム&ブルース、白人と黒人、ほぼ同年配のふたりのガンターさん、たまたま同姓ですが、ふたりそろって現在は立派な「ご先祖様」として奉られております。

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