フラニー・ビーチャー ー ベテランジャズマンがいかにしてロックギターの元祖になったか
まずは「こちら」をお聴きください。
こちらはグッドマンセプテッドですが、メンバー構成の中に、フランシス・ビーチャー(FRANCIS BEECHER)の名前があることにお気づきでしょうか。
古いジャズ録音で、ベースとのシンクロ奏法からあまり明瞭には聞き取れませんが、ギターの音が聴こえると思います。
今回のお話はこのギターの人。フランシス、別名、フラニー・ビーチャー、世界最初のロックギタリストのひとりです。
ビル・ヘイリーのギタリストとして有名なフラニー(フランシス)・ビーチャーは、ダニー・セドローン急死の後1955年にコメッツ入りした時点で、ヘイリーより4つ年上ですでにジャズマンとして一流でした。
特に1949年春の一連のベニー・グッドマン・セクステットのリズムセクションで巨大な「エピフォンエンペラーギター」でザクザクとジャズコードを刻み続けた仕事を聴けばベイシーのフレディ・グリーン系の古典的なジャズギタリストであることがよくわかります。
ちなみに「フレディ・グリーン」は、スイング時代を代表するギタリストで、エレクトリックを一度も手にせず、生涯一度もギターソロを取らなかった(録音が残っていない)と言われている「ミスター・リズム」。
グリーンのギターは、伝説的な「ストロンバーグ・マスター400」。世界に100本しかない、スイングジャズギターの名器。グリーンはものすごい弦高(12フレットで約2.5センチ。ミリ、ではない)でした。高くすると音が大きくなるからです。
「ストロンバーグ・マスター400」
この特大の特注ギターで、フルオーケストラをむこうにまわしてアコースティックギターだけでリズムをとったのです。ベイシー(ピアノ)、グリーン(ギター)、ウオルター・ペイジ(ベース)、ジョー・ジョーンズ(ドラムス)の4人は「オール・アメリカン・リズム・セクション」といってジャズのリズムセクションの御手本になりました。
話が少しそれますが、こんな動画もある。同じくビンテージギターショップの草分けであるノーマンズレアギターショップのものですが、ここで登場してストロンバーグで見事な腕前を披露しているのは、俳優で歌手でギタリストの「フランク・スタローン」。シルベスター・スタローンのお兄さんです。俺の彼女のケツよりでかいギターだぜ!とかいかにも下品なギャグがスタローン家っぽい!!
「フランク・スタローン」
この巨大なギターは、ルシアーもので、ストロンバーグ氏本人がひとつづつ手作りで作ったもの。市販の最大のアーチトップギターであるエピフォンエンペラーより一回り大きく、スーパーエピフォンと呼ばれていましたが、そのエンペラーを駆使してスイングリズムを刻み続けたのがビーチャーでした。
コメッツとしての最初の仕事は、「Dim Dim The Lights」で、ジャズマンのビーチャーとしては初歩的でシンプルなプレイをさせられた、とのこと。ロカビリーと彼らが呼んでいたスタイル、というのが面白い。正直あまりやる気がしなかったようですが、これが歴史を動かすことになるわけですから世の中わかったもんじゃありません。
「Dim Dim The Lights」
その後、62年まで、コメッツのフロントのかなめとして、サックスのルディ・ポンぺリともども大活躍をするのですが、最も重要だったのはギターのインスト、「グーフィン・アラウンド」、「ブルー・コメット・ブルース」、「シェイキイ」など、自ら作曲、演奏したことで、とりわけ、「グーフィン・アラウンド」は最初のロックギターインストルメンタル曲として今日でもスタンダードにあっています。
「グーフィン・アラウンド」
また、コメッツの別名KINGSMEN名義で、WEEKENDも大ヒットさせている。やはり只者ではないギタリストであります。
さて、そのビーチャーも、コメッツ入り7年後、メキシコを中心に活動しだしたコメッツを脱退。ジャズマンからロック時代のこの人の人脈はものすごいものがあったはずなのですが、ばっさりとコメッツを辞め、故郷に帰っておもちゃ工場に勤めだします。
音楽は趣味活動以外辞めてしまいました。家に帰ったんですね。
その後、ごく普通の市民として定年まで勤めあげ工場長にまでなりました。そして、工場勤務から引退してから後、リユニオンコメッツで復帰し、また脚光をあびて92歳で亡くなりました。
最後に、おなじみすぎるかもしれませんが、ロック・アラウンド・ザ・クロックの珍しいステージ風景を紹介して今回はおしまい。なんと、「ビル・ヘイリートリビュート」として、ヘイリーをしのぶものすごい大スター勢ぞろいの一大セッションです。
背後のスクリーンの古いフィルムのビル・ヘイリーに合わせて全員が演奏します。
「ビル・ヘイリートリビュート」
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