40-50年代カントリー音楽のルーツ
アメリカのカントリー音楽。日本では全盛期のころの愛好家世代が80代近くになり、演奏者も下の世代に受け継がれていますが、お客さんがだいぶ減ってきたという噂も聞きます。
私も近年のものはあまり接することがなくなり、よく知らないのですが、数年前、テキサス州サンアントニオ郊外の屋外ライブバーでホンモノのバンド演奏を堪能するチャンスを得ました。すごいですよ、ツアーバスですっげえド田舎の、まるで1940年代あたりで時がとまったような小さな町にやってくるバンド。テキサスですから、今でも古めかしいクラシックカントリーやウエスタンスイングが大人気です。そしてそれを見に来る観客。
全員カウボーイなんですよ。だって、町の周囲は数10キロ四方、牧場しかないんだもん。行けども行けども車すらすれ違わないんですよ。
会場の外には、40年代の車、馬とならんで、牛までが駐めてある。あれは異世界だったなあ。映画の中に入り込んだみたいな。
ああいうのは、思い切って、観光客なんて絶対に行かないような辺鄙なところまでいかないと味わえないだろうなと思いました。
ピストル・パッキン・ママ
さて、カントリー音楽の歴史は1944年に始まります。(ビルボードのカントリーチャートの前身、ジュークボックスフォークチャート)。
44年に最も聴かれたのは、 ビング・クロスビーの「ピストル・パッキン・ママ」で、オリジナルは43年に書かれました。
ホーム・オン・ザ・レンジ
1872年にダニエル・E・ケリーによって作られたホーム・オン・ザ・レンジは1947年にカンザス州の州歌となりました。
40年代に始まったカントリー音楽チャート前身はビルボードフォークチャートで、サブタイトルがついていました。(ヒルビリー、スピリチュアル、カウボーイソングその他)。複数ジャンルの統合でできたのがカントリー音楽だとわかります。その中で、これは最も世界中に知られたカウボーイソングのひとつ。
我が国では66年にNHKみんなのうたで、峠の我が家として紹介され、広く親しまれるようになりました。
レッド・リバー・ヴァレイ
赤い川の谷間、として我が国でも古典になっているレッドリバーバレイ。最初のレコーディングは1926年、タイトルはカウボーイ・ラブ・ソングといいます。
ユー・アー・マイ・サンシャイン
歌う知事として有名なジミーデイヴィスのルイジアナ州知事当選のきっかけになったのが、ユーアーマイサンシャインであるのは三井徹先生の著書に詳しいです。(ユー・アー・マイ・サンシャイン物語)デイヴィスはもともとがカントリー歌手だが、同時に政治の裏方仕事もする2足の草鞋稼業の人でありました。
カヴァード・ワゴン・ロールド・ライト・アロング
カヴァード・ワゴン・ロールド・ライト・アロングは、ウエスタンスイングのスタンダード。1942年のスパイク・ジョーンズ盤がヒットした後、スペイド・クーリイ、テックス・ウイルアムズ、ボブ・ウイルス、フォア・エイシズ・オブ・ウエスタン・スイング(ビル・ヘイリーがボーカル)、マール・トラヴィスなど、40年代に数多く発売されました。
古式ゆかしいカウボーイソングの体裁だが、書かれたのは、1940年(ブリット・ウッド、ハイ・ヒーツ)で、youtubeにある最も古いものは、「最後のシンギングカウボーイ」と呼ばれるジミー・ウエイクリーのもの(1941年の映像)。
ウイチタ
カントリー音楽にはもうひとつ別の側面があります。それは西部劇の音楽で、映画音楽専門のコンポーザーがサウンドトラックとして作ったものです。
そんな中で有名な人は自分も映画スター(シンギングカウボーイ)だったテックス・リターで、「ハイヌーン」(真昼の決闘の主題歌)は我が国でもよく知られている。
リターはのちに、自身の冠番組であるカントリー音楽テレビショー「ランチパーティ」の司会者としても活躍しました。
ウイチタは、映画「法律なき町」(ジャック・ターナー 1956年)の主題歌でテックス・リターが歌った。作曲はハンスJサルターで、映画音楽専門の作曲家。
日本の時代劇、股旅もの、という印象の曲調、のんびりとした西部劇らしい歌詞も面白い。
ザ・ウエイワード・ウインド
1956年、ゴギグラントによって吹き込まれたウエイワード・ウインド(スタンリー・リボウスキ作)はビルボードで1位になる大ヒット。すぐあとを追ってテックスリター版もヒットし、1度耳にしたら覚えてしまえる印象的で美しいメロディで現在まで聴きつがれるカントリーの古典となっています。
コメント
コメントを投稿