急がば廻れ-ギタリストの中のギタリスト ジョニー・スミス





突然ですが、まずは、「こちら」をどうぞ。




みなさん、よくご存じのヴェンチャアアアアズの「急がば廻れ」でございますね。

さて、これはカバーでして、では、彼らがもとにしたバージョンは実はかなり感じの違うものです。

それは、ナッシュビル・カントリーの大御所で、カントリーギターの神様、RCAレコードの重役でもあった、チェット・アトキンス。

チェットは、ロカビリーギターの直接の元祖、マール・トラビスの直属の弟子に近い人でもありました。

ヴェンチャーズは、チェットのかなり複雑なギターを単純化することによって世界ヒットにまでもっていったのです。

難しそうなものは一般受けしない、ジャズは40年代以降ほとんどヒットチャートと無関係というのがわかると思います。


チェット・アトキンス版




さて、そのチャットがオリジナルなのかというと違いまして、作曲して初めて自身で吹き込んだ人がジョニー・スミス。


ジョニー・スミス(オリジナル版)



そんなジョニー自身のヒットはなにかというと、「こちら」をどうぞ。




1952年に吹き込まれたスミスの伝説的ヒット、「ムーンライト・イン・ヴァーモント」。

サックスのスタン・ゲッツと組んだこの曲のギターは、彼独特のクローズド・コードによるコードメロディを中心に展開します。一聴とギタリストにとっては簡単な曲に思えるかもしれませんが、嘘です。こんなに流麗な演奏にはなりません。以下、専門的なので割愛しますが、要するに、彼独特のコードフォームとピッキングの仕方があってはじめてこのような綺麗な仕上がりになるのですね。


まあ、これはダウンビート(当時の有名なジャズ専門誌)が選んだレコード・オブ・ザ・イヤーの第二位。






1922年生まれのスミスは2013年に90歳で亡くなりましたが、ギタリストとしての名声は伝説といえるほどで、ジャズ界のほとんどのギタリストに大きな影響力があった人です。

アラバマの生まれですが、質屋に勤めながら独学でギターをマスターし、カントリーバンドを経て、ジャズギターの世界に。そして、まったく独創的かつ革新的なギター奏法でニューヨークのクラブやスタジオで活躍し頭角を現します。

50年代全般を通して、ジャズだけでなく、クラシックギタリストとしても有名になり、どんな音楽でもこなせる人気ギタリストになるのですが、そんな人気絶頂期に突然、コロラドの実家に帰って第一線から退いてしまいました。


難産の末、妻子を同時に失ったスミスは長女を育てるために、身をひいたといわれています。このあたりは、伝記映画(5つの銅貨)にもなったジャズ界の伝説的コルネット奏者レッド・ニコルズと通じるものがあります。

地元コロラドでたまにレコード吹き込みをしたり、音楽教室を開いて教えたり、楽器店を経営したりしていたそうですが、身を引いた理由は、もうひとつ、ニューヨークのような都会が肌に合わなかったというのもあるようです。

ツアーの誘いもたくさんあったそうですが、すべて断っていたそうで(例外はビング・クロスビー)、結局、ジョニー・スミスは、早くに引退してしまったため、生きたまま伝説になってしまい「多くの有名ギタリストに尊敬されるギタリスト中のギタリスト」として名を遺したのだと思います。


また、スミスというミュージシャンを知らない人でも実は有名なのが、ギブソンのギター。「ジョニー・スミスモデル」です。これは、世界一コレクターが求めているギターのひとつ。

それほどまでにスミスという人は後世のあらゆるジャンルの一流ギタリストのあこがれる大先生だったのだと思います。


コメント

  1. 興味深い話でしたよ。
    「難しそうなものは一般受けしない」というのは、かなりの真実だと思う。
    聞いていてなんか疲れてしまうのよね、バチバチやられると。
    やはり、「間」って音楽にも必要かもね。少なくても、俺もバチバチ弾き始めっると、自分で「音数引っ込めろ!」と言い聞かせるようにしてる。
    ところで、ジョニーさんの元歌が一番、俺の耳には心地よかった。

    テツ・オギ

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    1. POP音楽はアレンジで音数をわざわざ間引きます。ジャズは特殊よね。スミスは万能選手だったと思いますが、間引いた音楽が一番、らしい、です。ポップセンスの強い人だったのかも。

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