シックスティーン・キャンドルズ ジョニー・マエストロ&ザ・クレスツ



今年(2010年)の3月26日、ニューヨーク出身の偉大な歌手、ジョニー・マエストロが、70歳で亡くなりました。

今をさかのぼること、51年前の1959年、全米第2位でゴールドディスクになった不朽の名作、「シックスティーン・キャンドルズ」を唄ったドゥーワップ・グループ、ザ・クレスツのリード・ヴォーカリストです。その後、ソロとして、また、1968年からは、自身が結成した11人編成のドゥーワップグループ+ブラスバンドである「ブルックリン・ブリッジ」でも、ゴールド・ディスクを獲得するなど、ドゥーワップの枠を超えて、ポップ音楽を代表する偉大な歌手のひとりでありました。


さて、そのザ・クレスツは、1956年、ニューヨークで結成されたグループで、50年代後半の、最も優れたヒットメーカーのひとつとして知られています。

オリジナルのクレスツは、同時期に活躍したデル・ヴァイキングスと同じく、当時は珍しかった人種混合グループで、黒人3人、プエルトリコ人1人、そしてイタリア系白人1人から成っていました。

最初に彼らが会したのは、マンハッタンのジュニア・ハイスクールで、1955年のこと。当時の多くのアマチュア・ドゥーワッパーの例にもれず、彼らもまた、天然エコーを求めて、ブルックリンブリッジ駅の構内で練習しているところを、バンド・リーダーだったアル・ブラウンの奥さんに認められ、ブラウンがジョイス・レコードと彼らを契約させるところから、ザ・クレスツのストーリーは始まります。

結成したのは、黒人メンバーのJ・T・カーターで、メンバーは、タルモッジ・ガフ、ハロルド・トレス、パトリシアン・ヴァン・ドロス(R&Bのルーサー・ヴァン・ドロスの姉)。

カーターは、もうひとり、イタリア系のジョニー・マストランジェロ(後にステージネームをマエストロと改名)を加入させ、リードを唄わせることにしました。

ザ・クレスツは、1957年、ジョイス・レコードから小ヒット「スイーテスト・ワン」を出した後、ニューヨークのソングライター、ビリー・ダウン・スミスに紹介されたコード・レコード(ジョージ・パクストンが経営するレコード会社で、他のヒットボーカルグループにデュプリーズがいた。)に移籍、ここでルーサー・ディクスン作の「シックスティーン・キャンドルズ」を吹き込むことになります。


16歳の恋心をロマンティックに唄った、簡素で素晴らしい楽曲、編曲のバラード、「シックスティーン・キャンドルズ」は、マエストロの、すぐにそれとわかる、大声の、若々しくきびきびした唄いぶりとともに、ジュークボックスを通じて、あっという間にティーンの心をつかみ、全国ポップ・チャートの第2位を58年から59年にかけて、21週間も独走する記録的大ヒットになります。

なかばイタリアン・オペラ的な、マエストロのテナー・ヴォイスには、ピュアな響きがあり、年齢層も人種も飛び越えて、ヒットすること間違いなしの出来映えでした。




ザ・クレスツは、コード・レコードから、ビリー・ダウン・スミスの手になる何枚ものトップ40ヒットを出しています。「シックス・ナイト・ア・ウイーク」(1959年ポップチャート28位、R&Bチャート17位)、「エンジェル・リスンド・イン」(ポップチャート22位、R&Bチャート14位)、「ア・イヤーズ・アゴー・トゥナイト」(1959年ポップチャート42位)、「ステップ・バイ・ステップ」(1960年ポップチャート14位)、「トラブル・イン・パラダイス」(1960年ポップチャート20位)。


しかし、ここからは、「ザ・クレスツ・ストーリー」と「ジョニー・マエストロ・ストーリー」の分岐点となってしまいます。1960年のヒット「トラブル・イン・パラダイス」が出た後、ジョニー・マエストロは、ソロとして活動するため、クレスツを脱退。

マエストロ抜きのザ・クレスツは、ジェイムズ・アンクラムがリードとして加入。ガフがゼネラル・モーターズに就職して、脱退したのを受け、ゲイリー・ルイス(プレイボーイズのゲイリー・ルイスとは別人)と交代しますが、質の高い楽曲にも恵まれなくなり、10年以上に渡り、まったくヒットが出なくなってしまいます。

ヴァン・ドロスとトレスも別の職業に就くために、1960年代の終わり頃に脱退し、クレスツは、結成人のカーターと、アンクラム、ルイスのトリオで活動を続けるのですが、表看板だったマエストロなしのクレスツは、運に恵まれず、1978年にとうとう解散。

カーターは、チャーリー・トーマスのドリフターズ(2つのドリフターズのうち、ベン・E・キングがリードをつとめたほうのドリフターズ)に加入しますが、1980年に、夢よもう一度と、200人以上の歌手をオーディションし、リード歌手ビル・ダモンをフィーチャーした新しいクレスツを結成、90年代まで活動を続けます。しかし、ヒットには恵まれず、とうとう当時のリード歌手だったトミー・マラに権利を売り、オリジナルのクレスツは実質上、消滅してしました。(ザ・クレスツは、正式に現在でも存在しますが、トミー・マラのグループで、オリジナルメンバーとは関係ない別グループです。)

その後、カーターは、スターズというグループの一員として活動、ルイスは、現在はキャデラックスのメンバーとなっています。

2000年、かつてのオリジナルのザ・クレスツは、UGHA(ユナイテッド・イン・グループ・ハーモニー・アソシエイション)に殿堂入り。また、2004年には、ヴォーカル・グループ・ホール・オブ・フェイム(ドゥーワップの殿堂)入りも果たしましたが、結成人だったカーターが授与される形になっています。


さて、一方、リード・シンガーだったジョニー・マエストロ、こちらはかなり華々しい活躍で、ソロ歌手として、「ホワット・ア・サプライズ」(1961年ポップチャート33位)、「モダン・ガール」(1961年ポップチャート20位)、ミスター・ハピネス(1961年ポップチャート57位)と立て続けにヒットを連発しましたが、その後の数年間は、イギリスのロックブームのあおりを受けてか、ヒットは出ずじまい。

再度のチャンスは、1967年にデル・サテンズに参加したときで、当時、デル・サテンズは、ニューヨークではライブで名が売れたグループだったものの、レコーディングでは1959年からずっとヒットがまったくなく、ディオン&ベルモンツからソロとして独立したディオンのバッキングを勤めたりしていました。

また、1968年、マエストロがゲストとして参加した、ロングアイランド開催のバンドコンテストで、コンテストに出場した優れた7人編成のブラスバンド、「リズムメソッド」がマエストロのバックアップをしたところ、これが大好評。

マエストロは、結局、それらを統合し、4人編成コーラスグループのデル・サテンズ+7人のホーン奏者のリズムメソッドで合計11人編成という異例のバンド「ブルックリン・ブリッジ」を結成します。

スター歌手、ジョニー・マエストロとバックバンドのブルックリン・ブリッジは、ブッダレコードと契約、1969年に、ジミー・ウエブのカヴァー「ザ・ワースト・ザット・クッド・ハップン」をレコーディングし、ビルボード・ポップチャート第3位の大ヒットとなります。結局これは125万枚を売るゴールド・ディスクとなりました。その後出した「ウエルカム・マイ・ラブ」、「ブレスト・イズ・ザ・レイン」もトップ50に入るヒット。




マエストロとブルックリン・ブリッジは、エド・サリヴァン・ショーをはじめ多くのテレビ番組にも出演、全国的な人気者となって、1972年までの総計で1000万枚以上を売るという大ヒット・グループとなったのです。

その後、80年代から90年代にかけて、ブルックリン・ブリッジは、5人編成になって、ヴォーカリストが全員楽器を弾きながら唄うスタイルをとったり、8人編成になったり、と時代の変化に対応しながら、レコーディングを続けます。(ザ・クレスツ時代のヒット曲の再レコーディング、ベスト版のリリース、アカペラアルバムの発表など。)

1998年のPBSスペシャルイベント「ドゥーワップ50」において、ジョニー・マエストロは、ブルックリン・ブリッジを引き連れて出演し、ザ・クレスツ時代のヒット曲を歌って大喝采を受けてもいます。


さらに2005年に、ヴォーカル・グループ・ホール・オブ・フェイム、2006年にサウス・カリフォルニア・ミュージック・ホール・オブ・フェイムとロング・アイランド・ミュージック・ホール・オブ・フェイムに、立て続けに殿堂入り。

昨年、2009年には、コレクタブル・レコードからアルバム「トゥデイ2」がリリースされたばかりで、ブルックリン・ブリッジはまだまだ現役でしたが、冒頭に書いたとおり、今年2010年の3月、とうとうジョニー・マエストロが他界。ブルックリン・ブリッジも事実上活動停止状態のようです。


今振り返ってみると、ザ・クレスツは、人種混合グループの先駆であり、50年代後半、ロック時代に入ってから活躍したドゥーワップ・グループの中では、ドリフターズやコースターズといった黒人グループと同等に、たくさんのヒットを連発したグループでもありました。また、1960年代の半ばのビートルズ熱以降、アメリカのポップ音楽が変質していく中で、リード・シンガーだったジョニー・マエストロがしたたかに生き延び、70年代を過ぎても多くのヒット・レコードを残したことによって、50年代のドゥーワップ全盛期にとどまらない活躍を見せたのでした。


(2011年2月16日リリースのヴィヴィド・サウンドCD「ベスト・オブ・ザ・クレスツ フューチャリング ジョニー・マエストロ」のCDライナーとして寄稿。)


2011年10月16日

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