終わらない夏のラジオショー ー ウルフマン・ジャック
wooo!!yeah !! hai babe !! how old are you ? I'm 3hudred years old wolfman! here we gooo Frankie Lymon !!
まずは、こちらをお聴きください。
まあ、こちらの読者のみなさんは、さわりだけでもう、血沸き肉踊り、アメグラのラストシーンを思い出して、感涙にむせぶこと間違いなし!
もう、少し、広げると、日本の誇るバカバカしくも最高にクールだったラジオ番組「スネークマンショー」を思い出す人も。
というわけで、今回は、ロックンロールのオオカミ男、ウルフマンジャックのお話。
久々に聴いてみてますが、とにかく、この人が絡むと聞き飽きたような名曲も再び輝きだす、そんなすごいしゃべりですね。
日本でこの人の真似をして有名になったのが、小林克也というDJで、スネークマンショー(小林ウルフマン)はここから生まれたそうな。もちろん、中心が桑原茂一(プロデューサー)と小林克也、そして、声優俳優歌手もこなす名優、伊武雅刀。
サザンオールスターズの桑田圭祐もウルフマン役、演じてました。
よく知られているようにウルフマンのしゃべり、というか、あの声色はチェスのブルースマン、ハウリン・ウルフのものまねからきてます。ウルフマン本人の地声はあんな声じゃないんですよ。
HOWLIN WOLF "SMOKE STUCK LINGHTNING"
そんなウルフマン、どんな人だったのか。
わたしは50年代から活躍していた人なイメージを持ってましたが、活躍は60年代に入ってからなんですね。
ウルフマンジャックこと、ロバート・ウェストン・スミスは1938年1月21日ブルックリン生まれ。お父さんのアンソン・ウェストン・スミスは、米国聖公会の日曜学校の教師、作家、編集者、ファイナンシャル・ワールドの副社長というニューヨークの有名人でしたが、彼の両親は彼が子供の頃離婚。以後、百科事典のセールスマンをしながら、1960年にワシントンDCの国立放送アカデミーを卒業。
R&B音楽の熱心なファンで、ダグラス”ジョコ””ヘンダーソン、ドクタージャイブことトミー・スモールズ、ムーンドッグとして知られたアラン・フリードなどのディスクジョッキーたちに大きな影響を受けたスミスは、バージニア州ニューポートニューズのWYOUで働き始め1962年にはルイジアナ州シュリーブポートのカントリーミュージックステーションKCIJ / 1050に、ステーションマネージャー兼モーニングディスクジョッキーの職を得ます。
自分をウルフマンジャックと名付けて、伝説のディスクジョッキー、ウルフマンジャックが登場することとなりました。もともと、この人、ホラー映画のマニアで、狼男が大好きでもあったようです。
1963年、ウルフマンはアメリカとメキシコの国境地帯のメキシコ側シウダーアクーニャのXERF-AMで、超強力な違法電波の海賊放送を始めます。これがハンパないスーパーパワーで全米に届いた。全米どころかソビエト連邦まで届いたらしい。
ウルフマンは、本物のアウトローだったのですねえ。
本人役でウルフマンが出演している映画、アメリカン・グラフィティでもそういうセリフがあるけど、あれはホントなんだなあ、と納得。
このスポンサーは、なんと、ペンテコステ派の説教者や超能力者。彼らに時間を貸し、通信販売で売られたものから利益の50パーセントを奪うという商売。ドッグフード、減量薬、体重増加薬、ひよこまで、あらゆるものを売った。性欲を高めるとされていたフロレックスと呼ばれるドラッグまで。
「これから裸になるぞ!」、「俺のノブをいじってくれ!」と、素晴らしくドエロなしゃべくりで吠えまくりながら、当時最高のロックンロールを流しまくった。なんか、まるで映画そこのけの、胸がすくようなぶっ飛び具合です。
さらに、次のXERBは、5万ワットパワーで、今日も放送を続けています。ここは、カリフォルニア州チュラビスタのサードアベニューにある小さなストリップモールの後ろにもオフィスを構えていて、映画「アメリカン・グラフィティ」に描かれている小さな放送スタジオと同じでした。
ティファナからわずか10分の、サンディエゴの国境検問所の近くだったようです。その後、ミネソタ州ミネアポリスのKUXLを運営。同時にテープ録音をしてXERFででウルフマンジャックとして放送していました。このあたりもアメリカングラフィティと同じ。
1971年、メキシコ政府がペンテコステ派の説教者をラジオから禁止し、XERBの収入がなくなってしまい、ウルフマンはロサンゼルスのステーションKDAY1580に移動。古いXERBテープを編集して世界中のラジオ局に販売することにしたんですね。このテープ録音が軍のラジオFENに流され我が国に届いた。これは、1970年から1986年まで続きました。
この時期、ウルフマンジャックは53カ国の2,000以上のラジオ局でオンエア。これらウルフマンジャックの古い番組の録音は、彼の死後10年後にシンジケーションに再導入され、現在2020年の時点でエンビジョンネットワークを通じて利用できるようになっているそうです。
ウルフマンは、1973年に、まだ無名監督だったジョージ・ルーカスの2番目の長編映画アメリカングラフィティに彼自身として登場しました。
ところが、周囲の予想に反して、この低予算映画が大ヒット。さらにどこまでも売れ続けるカルト映画となって、ウルフマンは生涯の定期的な収入を得たようです。その後、これをきっかけとして様々なテレビショーや映画にも出演。改めて有名になっていったのですね。
1995年7月1日、ウルフマンはノースカロライナ州ベルヴィディアにある自宅で、心臓発作で亡くなりましたが、その存在は、今でもまるでホラー映画の主人公みたいに今でも生き続けています。



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