1942年の「ソウル・ミュージック」 ー ザ・5ロイヤルズ



 「俺たちは、彼らの音楽で育ったのさ。「シンク」は、いくつものファンキーなフレーズで出来ている。俺は、同じフレーズをマーキーズで使わせてもらったし、とにかく、ザ・5ロイヤルズのギタリスト、ロウマン・ポーリングのサウンドはファンキーでガッツがあった。ヤツは、リードとリズムをうまく使い分けるんだ。俺がいつもやっているようにさ。」(スティーヴ・クロッパー)



 もともと、ザ・5ロイヤルズは、単にドゥーワップグループである以前に、地元ノース・キャロライナ州、ウインストン・サレムで長い歴史のあるゴスペルグループで、そこにジャンプ・ブルーズ、ドゥーワップを混ぜ合わせて、最も初期のソウル音楽につながる独自性の強いサウンドを作り出しました。


 グループの歴史をさかのぼると、ドゥーワップグループとしてヒットを出す前まで、ゴスペルグループとしての歴史は、10年以上に及んでおり、結成は、1942年。

 50年代初頭には、アポロレコードからロイヤル・サンズ・クインテットの名でレコーディングを開始しており、メンバーは、ポーリングの他に、ヴォーカリストとして、ジミー・ムーア、オバディア・カーター、オットー・ジェフリーズ、そしてジョニー・タナーから成っていました。

(後年、タナーの弟、ユージーン・タナーがジェフリーズと交代しています。) 


 アポロ当時のサウンドにもっとも近いのが、このCD(KINGレコード音源)中では「ONE MISTAKE」。

 「ONE MISTAKE」を聴くとわかりますが、いかにもドゥーワップ的なクァルテット・スタイル(リードをコーラスが支える構造のアレンジ)、と、ゴスペル特有の「ジュービリー・スタイル」をうまく1曲の中で使い分けており、ジュビリースタイルのうまさは、他のグループを大きく引き離しているほどうまい。


 彼らのアポロ時代のヒットは、ほとんどが1952年と1953年で、すべてがギタリストだったロウマン・ポーリングの手によって書かれました。

 普通、ドゥーワップというと、アカペラもたくさんあり、「シンガー中心の世界」といえますが、このグループをひっぱっていたのが、ギタリストで、しかも、それが、冒頭のスティーブ・クロッパーの発言のとおり、歴史に名が残るような先駆的名手だったところが、5ロイヤルズの、あまり知られていないオイシイところだともいえます。


 1953年には、「ベイビー・ドント・ドゥ・イット」がヒットになりますが、バンドは、シンシナティの大手、キング・レコードと契約。

 しかしながら、アポロでは決して成功したとはいえず、5ロイヤルズは、キングレコードへの移籍を希望していました。

 主な理由は、配給網の関係で、アポロでは東海岸で有名にはなれても、西海岸はおさえられず、全国区に出るにはもっと大きな会社に行く必要があったのです。


 そして、キングレコードと契約した彼らは、自分たちの、全くのボーカル・クインテットが中心のゴスペル・サウンドから、小さなブルーズコンボの伴奏つきで、ジョニー・タナーを前面に立てたスタイル中心に変えました。

 そして、「デディケイテッド・トゥ・ザ・ワン・アイ・ラブ」のような心にしみいるラブ・バラードだけでなく、「モンキーヒップ・アンド・ライス」のような、コミックソング、リスクソングなども手がけるようになります。


 さて、そのポーリングの作り出したキング時代の数々の曲のうち、10年近く後にカヴァーされてさらに5ロイヤルズの名を不滅のものとした、最も有名な曲は、「デティケイテッド・トゥ・ザ・ワン・アイ・ラブ」(シュレルズ、ママス&パパス)、さらに、「テル・ザ・トゥルース」(レイ・チャールズ)、そして極めつけは、「シンク」(ジェイムズ・ブラウン)でしょう。(1993年にはローリング・ストーンズがカヴァー。)


 ジェイムズ・ブラウンの最初のバンドは、ザ・5ロイヤルズをもとにしていますし、エリック・クラプトン、スティーブ・クロッパー(メンフィス・ソウル・サウンドの産みの親、ブッカー・T&MGズのギタリスト。後にブルース・ブラザースに参加。)が最も大きな影響を受けたギタリストとして、ポーリングの名を挙げています。


 余談ですが、ポーリングは、たいへんに低い位置にギターを構えることでも有名になり(当時は珍しかった)ましたが、これは、コミックソングでのステージアクト用でお笑い系の演出だったとのこと。それが後々にローリングストーンズなどを経て、「ロックギターのスタンダード」になっていくところが面白い。

50年代当時、ロックンロール音楽の初期は、ビル・ヘイリーが言っていたように、「単に冗談みたいなもんだった」のでしょう。


 「シンク」は、当時チャート上では、R&Bチャートの9位にわずか6週間とどまったのみで、(ポップでは66位)それほどのヒットを記録したわけではありませんが、実質的にジェームズ・ブラウン・サウンドのもとになり、ザ・5ロイヤルズは、1942年から続く旧式のグループだったのにかかわらず、後年、多くの人が認める「ソウル音楽の元祖」となったのでした。

 「シンク」のリードを担当したのは、ジョニー・タナーで、戦後のゴスペル音楽特有のガッツのある、土臭い強烈な声で、炸裂するソウルフルな音楽を活かしきっていました。




 また、ソフトなラブ・バラードの「デディケイテッド・トゥ・ザ・ワン・アイ・ラブ」などでは、ユージーン・タナーがマイクに近づいて甘いヴォーカルを聴かせるというパターンをとっていました。


 キングレコードで吹き込まれた「シンク」と「ティアーズ・オブ・ジョイ」は、1957年にヒットとなりますが、多くのドゥーワップ・グループとは異なり、当時ヒットしなかった曲も、今日ではあまり例のない、時代の先を行っていたものだというのが定評になっています。

それに、ギタリストのポーリングの評価が高く、フィードバックを効果的に使用した点では、ビートルズ、ヤードバーズなど後々のロックグループに多大な影響を与えた先駆者のひとりとして評価されているのです。


 しかしながら、その後、1960年代に入ってくると、旧式なリズム&ブルーズはソウルサウンドにとって変わられ、先駆者であっても、後続のグループに勝てなくなって、5ロイヤルズは忘れられていきます。

そして、1965年、ポーリング以外のメンバーは全員、9-5時ジョブのサラリーマンになり、ついに5ロイヤルズは解散。

リーダーのポーリングはピアニストのローヤル・アベットやロイヤル・サンズ・クインテット当時の初期のメンバーなどとバンドを結成し、活動を続けますが、アルコール中毒におちいり、それがもとで73年に亡くなりました。


 1992年、NCフォークエリテイジで、故人であるポーリング以外のオリジナルメンバーがリユニオンし、ギターの簡素なバックのみのほぼアカペラで、素晴らしいゴスペルコーラスを聴かせてくれましたが、2005年、看板だったリード・シンガー、ジョニー・ターナーが亡くなり、遂に、歴史最初のロック・ギター・ヒーローが率いたソウル音楽の元祖、「伝説のグループ」、ザ・5・ロイヤルズは、60年の長い歴史に完全に幕を降ろしました。


 リーダー、もしくは、リードシンガーが存命中の、たくさんのグループが、50年代初頭から60年の歴史を生き抜き、いまでも活躍を続けている中で、ザ・5ロイヤルズを観ることも聴くことも出来ない、というのは、実に残念です。


(2010年11月10日リリースのヴィヴィド・サウンドCD 「イッツ・ハード・バット・イッツ・フェア ザ・ファイブ・ロイヤルズ」のCDライナーとして寄稿)


posted on2011年10月16日

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