愛のシャリオ~アイ・ウィル・フォロー・ヒムの軌跡 ーポール・モーリアのティーンポップ金字塔
まず、こちらをお聴きください。
ポール・モーリア「愛のシャリオ」
フランスのイージーリスニングのインストルメンタルで、作はフランク・プゥルセルとポール・モーリア、演奏はフランク・プゥルセル・オーケストラ。1962年のことです。
この曲はこれがオリジナル版ですが、プゥルセルは、ポップソングをインストにして当てることでも有名で、日本で最も知られているのは、ラジオ番組JET STREAMで使われた「ミスター・ロンリー」です。
ちなみに、ミスター・ロンリーのオリジナルはボビー・ヴィントンのポップソング。ヴィントン本人の作で、1964年に全米1位になっています。このとき、バックをつけたのがバディ・グレコのバンドです。
ポール・モーリアは親日家で頻繁に来日しコンサートやラジオテレビに出演、69年から97年まで870回の公演をこなしました。
最初のきっかけは、1968年に『恋はみずいろ』がビルボード全米ヒットチャートで連続5週トップを記録したときで、これを機に世界的にヒット(約500万枚)。年間チャートでも3位。RIAAゴールドディスク、ACCディスク大賞などを受賞。イギリスでは12位、日本では18位まで上昇しました。
さて、シャリオ(邦題:愛のシャリオ)は、翌年の1963年、イギリスの歌姫、ペトゥラ・クラークがフランス語版を吹き込みます。(全英39位)。ペトゥラは同年に「恋のダウンタウン」を世界ヒット(全米1位)させ、世界中にたくさんのファンが生まれました。
ペトゥラ・クラーク「愛のシャリオ」
名作、愛のシャリオはここで終わりません。
さらに、アメリカのリトル・ペギー・マーチがタイトルを「アイ・ウィル・フォロー・ヒム」と変えた英語版を64年に吹き込み、全米1位にしたところでこの曲は本物のティーン・ポップの伝説になるのです。
当時14歳の彼女は「最年少1位獲得記録」を樹立。いまだに、最年少1位獲得女性歌手の記録は破られていません。
この曲は、日本語でも吹き込まれ、ペギー・マーチは64年、日劇ウエスタンカーニバルに出演するために来日。
以後、日本でも三木たかしの「忘れないわ」がヒットしています。
リトル・ペギー・マーチ「アイ・ウィル・フォロー・ヒム」
さらに、先があります。
1992年のハリウッド映画「天使にラブソングを」にゴスペルバージョンがフィーチャーされ、主演のウーピー・ゴールドバーグを一躍スターに押し上げたのです。
天使にラブソングを「アイ・ウィル・フォロー・ヒム」
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そして、とうとう「愛のシャリオ」から50年を経て、「アイ・ウィル・フォロー・ヒム」が欧州に凱旋。
オランダのアンドレ・リュウ(2002年公開の映画『千と千尋の神隠し』(宮崎駿監督)の主題歌を演奏するなど、日本においても知名度が高い)の公演(2014年)では大観衆に深い感動を与えました。
この動画では、国籍、人種、老若男女問わず、ノリノリで楽しむ数えきれないほどの人々が映し出されています。
アンドレ・リュウ「アイ・ウィル・フォロー・ヒム」
名作は歳をとりません。色あせることなく、さまざまな装いでいつもその時代の、世界中のあらゆる人々に楽しみと夢を与えます。
こういうものを「古典」というのだと思います。
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