元祖エロカワ・ギャルズ ー ザ・ロネッツ
60年代前半に大活躍した「元祖エロカワギャル・グループ」、ロネッツ。
わたくし、中学生時代にLPをすべて手に入れ、さらにCDでも全て持っているのです!
実は、種を明かせば、アルバムは1枚きり(無名時代のコルビックスレコード・コンピ入れても2枚)、という短命なグループだったわけです。
ロネッツは、1960年代を代表的するガール・グループのひとつでありまして、ヴェロニカ・ベネット(後のロニー・スペクター)、エステル・ベネットの姉妹と、従姉妹のネドラ・タリーの3人で結成されました。
最も特徴的だったのは、有名な「ウォール・オブ・サウンド」。これは、プロデューサーだったフィル・スペクターの手になるもので、100人近いオーケストラを使い、多重録音を繰り返して、レコード上で、これまで誰も聴いたことのなかった分厚いサウンドを作り上げたのでした。
さて、ベネット姉妹と、近所に住んでた従姉妹のネドラの3人組は、子供のころから一緒に唄うのが大好きでした。しかも、3人そろってモデル体系、おまけにダンスもめちゃウマ!という、アイドルになるのが当然のような美形グループだったわけです。そして、1959年、音楽好きのおばあちゃんの勧めで、アポロシアターのオーディションに出ることに。
しかし、才能抜群のめちゃエロカワイイ10代の美人3人組をそのまま放っておく馬鹿は、もちろん、いません。当然のごとく、スカウトされまして、マネージャーもつき、10代の女の子らしく、チャリティ・ショーで可愛らしくドゥーワップ唄ったりしておりました。
そして、彼女たちは、1961年、思わぬ偶然からチャンスを手にします。
有名なクラブ、ペパーミント・ラウンジのオーディションに合格した彼女たち、レイ・チャールズのナンバー、「ホワッド・アイ・セイ」をノリノリで歌ったところ、これが馬鹿ウケ!
そして、これを契機に、ロニー&レラティヴスとしてコルピクス・レコードと契約し、「アイ・ウォント・ア・ボーイ」をシングルリリース。また、ボビー・ライデル、デル・シャノン、ジョウイ・ディーなどのバックアップシンガーを勤めたりもします。
そんなわけで、コルピクス・レコードで、何曲かレコーディングし、今聴いても、当時のガール・グループの中でもとりわけ素晴らしい出来映えだったのですが、50年代半ばのシャンテルズ以来、結構たくさんあったガール・ドゥーワップと比べると、サウンドは余り目新しいものではなく、あまりぱっとした成功はしなかったのです。
そして、1963年、ロネッツは、フィレスという、トンカツ屋みたいな名前のレコードレーベルを経営し、独特のウォール・オブ・サウンドで有名なプロデューサー、フィル・スペクターに注目され、契約します。スペクター(デーブではない)は、自分のプロデュースで大ヒットを飛ばしていたクリスタルズを超えるような、新しいガール・グループを売り出そうと、虎視眈々と女の子グループに目を光らせていたのですが、主にリードを唄っていたヴェロニカ(ベネット姉妹の妹のほう)の声にぞっこん参ってしまったのです。
そして、スペクターは、可愛らしさが売りだったロネッツを、もっとバッド・ガール風にさせ、(ビーハイヴヘア、タイトスカート、どぎついツケマツゲとアイライナー)、どんどんヒットを出していた最大の楽譜出版社であるブリル・ビルディングの名ソングライターコンビ、エリー・グリニッジ、ジェフ・バリーと共作した、男を誘うエロいおねえさま風の歌詞を伴った傑作、「ビー・マイ・ベイビー」を吹き込ませました。
これが、全米ポップチャートの2位になり、世界各地でも大ヒットします。
ついに、中森明菜(古・・)も、沢尻エリカ様(悪・・)も真っ青の、「元祖エロカワ・ギャル・グループ」の登場となるのです!
続いて出た「ベイビー、アイ・ラヴ・ユー」、(24位)、翌64年の「ベスト・パート・オブ・ブレイキング・アップ」(39位)、「ドゥ・アイ・ラヴ・ユー?」(34位)、「ウォーキン・イン・ザ・レイン」(24位)と、ヒットは続き、出来映えも素晴らしいの一言なのですが、「ビー・マイ・ベイビー」に迫るヒットはなぜか出ません。
50年代ドゥーワップの見事なリアレンジ版、「ソー・ヤング」なども納められた、たった1枚の伝説的傑作アルバム、「プレゼンティング・ザ・ファビュラス・ロネッツーフューチャリング・ベロニカ」も、当時は、ホット100の96位どまりという結果でした。
なぜか?というと、そうです、1964年は、「ビートルズ大襲来」の年なのです。
そして、1966年、ヒットがないまま、ビートルズの前座を最後に、ロネッツは解散してしまいます。
その後、1968年に、エステルとネドラは結婚し、引退。
ヴェロニカも、フィル・スペクターと結婚、ロニー・スペクターとなって、引退するのですが、これが大失敗。
後年、彼女が公表したところによると、嫉妬深い変人、フィル・スペクターによって、まるでサイコホラーみたいな監禁生活を強いられたらしいのです。このフィル・スペクターという人、数々の奇行で有名な人ではありましたが、私生活もそうとう変わっていたらしい。
1973年に念願かなって離婚、ヴェロニカはソロ活動を開始、今でもアクティブな歌手として活動しています。
その後、2002年には、ロネッツの3人が、著作権料を巡って、スペクターを相手に、訴訟を起こしたりもしました(ロネッツ側が敗訴)。ロネッツの「ロックの殿堂」入りも、理事だったスペクターが、離婚したロニーへの腹いせから、絶対に入れさせなかったという話もあります。ホントに陰険なやつでアタマ来ますっ!いくら才能があるからって、これじゃあいけませんね。ロネッツを有名にした、仕掛け人が、後に転じて、彼女たちの最大の敵になってしまったわけで、人生何があるかわかりません。
しかし、スペクターは、2003年、女優を自宅で殺害した容疑で逮捕されます。その隙に、ロネッツは、長年のファンを公言し続けているローリング・ストーンズのキース・リチャーズにより、「ロックの殿堂」に招き入れられ、とうとう世界が夢見たロネッツ再演がかないました。
しかし、完全に再結成とはいかず、2009年には、エステル・ベネットが亡くなっています。生涯通じて、ロネッツにこだわり続け、そのせいで重いメンタル疾患にかかって、長年苦しんだ末の悲しい死だったのだそうです。
世界初の「エロカワイイ」、「バッドガール」を売りにした、女の子たちでありますが、熱狂的ファンであった、、ロネッツの「悪い子ちゃんぶり」は、あくまで作られたものでありまして、本人たちは、美人で才能豊かでしたが、いたってフツウのおじょうさんたちだったそうです。
ザ・ロネッツが、わたくしの、中学時代から現在までずっと大好きな、甘酸っぱい青春の想い出満載の、永遠のアイドルであることは変わりません。
(この記事は2011年10月16日に書いたものです)
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