フランキー・フォードの「シー・クルーズ」




フランキー・フォード、といって、すぐに、「あー、シー・クルーズの人!」って気が付く人は相当のロックンロールマニアかと思います。

この人が知られているのは、この1曲のおかげ。でも、この曲、とにかくゴキゲンなんですよね。


Frankie Ford "Sea Cruise"



1950年代のニューオーリンズR&Bサウンドの一番おいしいところどりをしたような、すさまじく楽しくかっこいい曲であります。これ大ヒットしました。

あまり印象に残らないフランキー・フォード。

歌は素晴らしいけど、そんなにカリスマチックなアイドルっぽくもないし、そもそも若い白人のアイドル歌手路線からほど遠い、南部のドタバタしたR&Bサウンドなんですから、なにか、ミスマッチな印象がある。


「フランキー、ちょっと悲しいな。だって、ラブソングじゃないんだもーん!」

なんて叫んだという記録はいっさい残ってません。 


彼はルイジアナ州グレトナ生まれ。ニューオーリンズの川向うくらいの位置の町です。

彼は幼い頃に歌と踊りを学び、高校では歌手とピアニストとしてシンコペーターズというグループに加わって活動しています。


地元ルイジアナ州をツアーした後、ヒューイ「ピアノ」スミス&ザ・クラウンズの「シークルーズ」でボーカルのオーバーダブを録音した、となっている。

その際、いつくかの効果音(ベルと船のホーン)もついでにオーヴァー・ダビング。

オリジナルのスミスのほうは、録音はできていたものの、ツアーを離れていたので、プロモートの関係からか、エイスレコードはフォードのバージョンをリリースすることを決定といういきさつだったらしい。

で、泥臭いニューオーリンズのR&Bらしい曲なのに、チャートを飛び越えて、ポップチャートで14位、R&Bチャートで11位に上がり、結局、ミリオンセラーになりました。(ゴールドディスク)。



さて、以前ご紹介した、ヒューイ・ピアノ・スミス。

ちょっと復習をしてみましょう。


ヒューイ”ピアノ”スミスは、ニューオーリンズのピアノ奏者としては、歴史上1,2を争う影響力を持った人でしたが、その器楽奏者としての活躍ぶりとは別に、たいへん面白い音楽をたくさん残したことで知られています。


彼らの2大レコードは、お笑いビョーキネタソングの「ロッキン・ニューモニア・アンド・ザ・ブギウギ・フルー(ロッキン肺炎とブギウギ風邪)」(1957年)、同じくビョーキネタの「ハイ・ブラッド・プレッシャー」(高血圧)と両面ヒットになった「ドント・ユー・ジャスト・ノウ・イット」(1958年)。どちらも、立派なミリオンセラーで、ゴールド・ディスクになっています。

ピアノ・スミスの演奏スタイルは、当時大変な影響力を持ち、ロックの形成にも大きな役割を果たしたと言われています。


しかしながら、これらのレコードの大ヒットの要は、のちにスミス本人がスピーチしたように、彼が結成したクラウンズというボーカルグループの功績は大きいです。

脳みそが溶けたようなスミスの歌をカバーするべく、「女装女声で歌う男性ボーカリスト」として変態音楽マニアに有名だったボビー・マルシャンをフィーチャー。

このコミカルさは、西海岸のコースターズに匹敵したのではないかと思います。


「おいはさあー、グスン、ノーがトロトロな声だ、なんて言われてよおー、グスン、く や し い で す っ !」

なんて、スミスがサブングルの加藤さんみたいに叫んだということはなかったようです。


マルシャンという人は、オハイオ州ヤングスタウンの生まれで、10代のころから、そうした活動をはじめており、ニューオーリンズのナイトクラブ、特に1950年代半ばにデュードロップインとクラブティファナでの演奏で有名になりました。

1954年に、コジモ・マタッサがアラディンレコードのためにプロデュースした最初のレコーディング「ハブ・マーシイ」を吹き込み、その後、ドットとエースでレコーディング。

1957年から、スミスが率いるクラウンズに加わって、一連のヒットソングを出していますが、オリジナル・バージョンの「シー・クルーズ」もマルシャンです。





さて、フランキー・フォードは米国中を広くツアーしましたが、「アリモニー」、「タイム・アフター・タイム」は全国チャートの下位にしか到達せず、その後の記録はあまり成功しませんでした。

マック・レベナック(ドクター・ジョン)などのミュージシャンと一緒にノベルティレコードを録音しましたが、これもダメ。


後に小さなレーベルのために時折レコーディングしましたが、主にニューオーリンズとその周辺のクラブで演奏するライブ・パフォーマーになって、1990年代まで録音と演奏を続けました。

2010年には、ルイジアナミュージックの殿堂入りを果たしましたが、長い病気の後、2015年、76歳で死去。


実力はありながら、なんだかパッとしない一発屋のアイドルみたいな感じになってしまった不運の音楽家、フランキー・フォードのお話でした。





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